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前回でついに、フランク族からフランク王国を築き上げた
カロリング朝が滅亡。
カペー朝が誕生しました。カペー朝に政権が変わったフランス。
どうなっていくのでしょうか?

カロリング朝時代に力をつけたパリ伯ユーグの息子
ユーグ・カペー
が諸侯たちに選ばれて王になった…ものの、結局、ノルマンディー、ブルゴーニュなどの
力のある地方諸侯たちに反発にかなり苦しめられます。
しかし、生存中に、息子のロベール2世(敬虔王)を世継ぎと定め、揺るぎないカペー朝の世襲の土台を固めたのです。

このロベール2世(敬虔王)。
名の通り信仰深い人なのですが、この人は子沢山で有名。
結婚を3回もし、最後の奥さんとの間には
7人もの子を残します。
この多くの子のおかげで、カペー家の血が
長く、世に続くことになり、血統の土台を固めたのです。

長男ユーグを世継ぎと定めるも、
ロベール2世(敬虔王)よりも早世。
そこで、弟のアンリ1世が王となります。

アンリ1世はもともとブルゴーニュ地方を治める
ブルゴーニュ公でした。

ここで、少しブルゴーニュの話をしましょう。

ブルゴーニュは地方諸侯として、かなり力をもち、
一度、諸侯だったラウールはフランス王にまでなっていますね。ラウールと王になった際、
その弟がブルゴーニュ公を継ぎ、ブルゴーニュの力もその間は健在でした。

しかし、その後、ジルベール・シャロンがブルゴーニュ公となった際時の人、パリ中心で力をふるっていたパリ伯ユーグにブルゴーニュの単独政治を阻まれ、パリ伯ユーグの臣下にさせられてしまいます。
そこから、ブルゴーニュは、カペー家の臣下となり、
カペー家のアンリ1世がブルゴーニュ公となり、ブルゴーニュを治めていたのです。

しかし、長男ユーグが死去。
アンリ1世はパリに呼び戻され、
王となるのです。

しかし、戻ったらとんでもないことになってしまいました。
末弟ロベールと彼を溺愛する母は、
末弟ロベールが王とばかり思って、アンリ1世を憎み始めていました。末弟ロベールと母に何度も反乱を起こされてしまいます。

さすがに、身内に何度も反乱を起こされてはかないません。
また、格好が悪い…

そんな悩ましいアンリ1世
地方諸侯たちは、たくみに近づきます。
ノルマンディー公ギューム2世は、アンリ1世の味方にうまくつき、
その代わり、ノルマンディーの領土を認めてもらう…

しかし、これでは、地方諸侯の者の力を増大させてしまうだけ…
アンリ1世は悩みます

しかし、身内での反乱をうまく収めるには、仕方がありません
このように、地方諸侯たちの手をかり、結局、諸侯たちの
力を増大させる結果を招いてしまうのです…

末弟ロベール
にブルゴーニュ公の地位を譲る
ことで解決するのですが、結局、諸侯問題の
課題を大きく残すことになってしまったのです。

中央政権と地方諸侯の問題は、まだまだ今後も続くのです。
はたして、どのようにフランスは統一されていくのでしょうか…

次回をお楽しみに★
# by cuicuifrancais | 2010-03-02 10:41 | フランスの歴史

前回は、ノルマン人討伐に功績のあったパリ伯ウードが王になり、
しかし、血が大切とカロリング家の血を引くシャルル3世(単純王)が王になり、
しかし恨みがあったウードの弟ロベールシャルル3世(単純王)が衝突…
とフランスがめまぐるしく2転3転しましたね。

しかし、ウードの弟ロベールシャルル3世(単純王)はともに戦死。
一体、誰が王になるのでしょうか?

王になるには、王に使える諸侯たちが納得する人物でなければ
なりません。この点で、王はかなり苦戦するのです。
シャルル3世(単純王)も、カロリング家の血を引いてはいたものの
単純には、諸侯達をまとめることができませんでした。
現在の政治だって同じですよね。

そこで、王の血を引いていなくても、諸侯の中で
力がある人物が諸侯たちの手によって選ばれました。
ブルゴーニュの諸侯であったラウールです
しかし、世継ぎがないまま死去したため、
再度、王はカロリング家の血を引く者に戻されます。

シャルル3世(単純王)の子、ルイ4世(海渡王)です。

この王の名前は、何故、このような名になったのでしょうか?
ルイ4世(海渡王)は、シャルル3世(単純王)と、イングランド王の
娘との間の子なのです。もちろん、イギリスと親戚関係を結んでおいた方が
武器、戦力ともに有利。このように、海外からお嫁さんをもらって、
また、娘を差し出して、同盟関係を結んでいたのです。

しかし、ルイ4世(海渡王)が生まれた920年。
父のシャルル3世(単純王)は、パリ伯ウードの弟ロベールと戦争中。
923年に父は投獄。そこで、安住の地を求めて、
当時3歳のルイ4世(海渡王)は母の実家のイングランドに身を寄せていたのです。
この海渡王という名は海を越えて亡命したことに由来しています

亡命中に、父シャルル3世(単純王)は死去、ロベールも死去、
ラウールも死去、そこで、ルイ4世(海渡王)がフランスに呼び戻されて
王になります。

しかし、長い亡命中の間に、フランスは大きく変わってしまいました。
もうカロリング家の力など、全くなく、諸侯の力が大きくなっていたのです。
ルイ4世(海渡王)も王とは名ばかり。パリ伯ユーグの力が増すばかりでした。
まさに、浦島太郎状態。あやつりやすい人物を王にして…というわけです。

ルイ4世(海渡王)の死去後も、息子ロテールが王位を継ぎます。
しかし、パリ伯ユーグの後見のもと。全く力がふるえません。
最終的には、パリ伯ユーグの息子ユーグ・カペーとの対立が
激しくなっていきました。ここに、諸侯カペー家とカロリング家に
深い溝ができてしまったのです。

ルイ4世(海渡王)の子、ルイ5世(怠惰王)が即位。
しかし、名の通り、怠惰な上に、子もなく、ここに
簡単に、カロリング家はお家断絶となります。

そこに、待っていましたとばかりに現れたのが、
もちろん、力をつけた諸侯、カペー家です。
ユーグ・カペーが諸侯たちの国王選挙で、
次の王に選ばれます。ここに、カペー朝が誕生したのです。

カペー朝に政権が移ったフランス、今後、どうなっていくのでしょうか?
次回をお楽しみに!!

【海外との婚姻関係】

ルイ4世(海渡王)は
シャルル3世(単純王)とイングランド王の娘との間の子
そして、その息子ロテールは、
ルイ4世(海渡王)とドイツ王との娘の間の子。
この頃から、諸国との婚姻関係ができてくるのです。
この婚姻関係がフランスに大きな問題をもたらしていくのです
# by cuicuifrancais | 2010-02-23 11:55 | フランスの歴史

2010年2月10日(水)

月1回のザ・プリンスパークタワー東京
33Fのフレンチレストラン”ブリーズ・ヴェール”で
行われるフランス語セミナー。
2月のテーマは”ノルマンディー”でした。

まず、私の楽しみは、同じ33Fにあるバー
で夜景を見ながら飲むカクテル。
イチゴの季節になったので、イチゴのカクテルメニューが
登場しました。
今回飲んだのは、シャンパンとイチゴの”ストロベリー二”
こんな美味しいカクテルは久しぶり。

今回はノルマンディー。
ノルマンディーの歴史と、フランス語の挨拶の仕方を
学習しました。

そして、吉田シェフのお料理。今回はどんなお料理だったでしょうか?

では、写真でお楽しみくださいね★

以下は写真です↓

●ザ・プリンスパークタワー東京★フランス語セミナー_f0115627_12255461.jpg

夜景とともに楽しむストロベリー二

●ザ・プリンスパークタワー東京★フランス語セミナー_f0115627_12263958.jpg

いろいろな質問に答えてくれる吉田シェフ

●ザ・プリンスパークタワー東京★フランス語セミナー_f0115627_12272082.jpg

アントレのカマンベールのコロッケとそば粉のガレット

●ザ・プリンスパークタワー東京★フランス語セミナー_f0115627_1229569.jpg

帆立のポワレ アンディーブのカラメリゼ オレンジの香り

●ザ・プリンスパークタワー東京★フランス語セミナー_f0115627_12301988.jpg

茨城産仔牛肉のブランケット シードル風味

●ザ・プリンスパークタワー東京★フランス語セミナー_f0115627_12312167.jpg

デザートのタルトタタン

●ザ・プリンスパークタワー東京★フランス語セミナー_f0115627_12315349.jpg

最後にこんなに可愛いお菓子も出してくれます
# by cuicuifrancais | 2010-02-15 12:32

前回は、1度は統一されたフランク王国は
シャルル3世(肥満王)の怠惰な政治で
再び、フランク王国は3つに別れ、

西フランク王国の王には、
ノルマン人討伐に功績のあった、
パリ伯のウードがなることが決まりました。

しかし、そこに、待っていたのは、
カロリング家の血を引く、ルイ2世(吃音王) 息子シャルル3世(単純王)
この後ウードはどうなるのでしょうか?

ウードはノルマン人討伐に功績があっても、
カロリング家の血を引く人物ではありませんでした。
よくある話ですが、「ここは血統が大事!」という
諸侯たちや大司教たちの中では、
王は、シャルル3世(単純王)である!という
声が高まっていたのです。

そして、ウードが王である中、カロリング家擁護のランス大司教は、シャルル3世(単純王)
を王として戴冠させたのです。

これでは、ウードの立場がありません。
そこで、自分の功績を認め、王としてくれた
東フランク王国の王アルヌルフを頼ります。
しかし、アルヌルフは、「王はシャルル3世である」と…

ウードは、援者を失い、その後、孤立し、3年間シャルル3世側と戦った後に
死去。ノルマン人討伐では、英雄だった彼の悲しい最期でした。

ウードが死んだのち、
正式に王となったシャルル3世(単純王)
とっても単純に、ノルマン人と和平を結びます。
「ノルマンの地は君たちノルマン人にあげるから、パリ周辺を攻撃しないでください」
「それと、娘もあげますので」
といういたって、単純な条約を結びます。
この単純な条約の後、ここにノルマンディ公国が誕生します。

しかし、こんな単純な王。
やはり、周りの諸侯たちをまとめていくことができませんでした。

当時同じく力があったブルゴーニュの地に住むブルゴーニュ公ラウール
そして、なにより強敵は、ウードの弟、ロベール
兄を討ったシャルル3世(単純王)をよく思っていないのは当たり前です。

兄ウード
が死んだ989年から922年の24年間。
ロベールは耐えに耐えてきましたが、922年ついに挙兵。
シャルル3世(単純王)を追い出し、戴冠して念願の王となります。
しかし、翌年の923年、シャルル3世(単純王)も黙っていません。
二人は正面衝突。
しかし、二人とも戦死…という結末を迎えます。

さあ、この後、誰が王となるのでしょうか?
次回をお楽しみに★


【ノルマンディー】

みなさん、ノルマンディーというと、モンサンミッシェルがあって
田園風景が広がり、のどかなイメージですが、昔、
ノルマンディーといったら、ヴァイキング!!だったわけです。
シャルル3世と和平を結んだのは、ノルマン人の長であった
初代ノルマンディー公のロロン。いつも馬に乗らずに、
歩いていたということから、徒歩公という愛称が付けられています。

シャルル3世と和平を結んだ際に、
キリスト教信者となり、ロベールと名を変え、
諸侯をまとめ、勢力を伸ばしていったのです。
# by cuicuifrancais | 2010-02-15 10:40 | フランスの歴史

前回は、兄弟喧嘩の末、フランク王国は
西、中央、東の3つに別れ、
末っ子のシャルルが継いだ西フランク王国が
現在のフランスとなった…
まで話ました。

では、今日はその後のフランスをお話しましょう

前回お話しした末っ子シャルルが
①シャルル2世(禿頭王)→苦労の生涯を送る

シャルル2世の長男が
②ルイ2世(吃音王)→体が弱くすぐに死去
体が弱いわりに、奥さんが3人。
正妻の間に、男児2名
2番目の妻との間に、女児1名
3番目の妻との間に、男児1名
彼の子孫繁栄は後のキーワードをなります

③ルイ3世とカルロマン(共に愛称なし)シャルル2世の長男(ルイ3世)とその弟(カルロマン)。

何故か2名が王という異例の時代。
この時期、現在のノルマンディー辺りは、
「ノルマン人」と呼ばれるヴァイキングが住んでおり、
ノルマン人との戦いで苦労していました。
ルイ3世はノルマン人を打ち破り、功績を上げたのですが、
すぐに死去。

その後、カルロマンが単独で王となります
④カルロマン
ルイ3世亡き後、再度、ノルマン人の攻撃を受け、
悲惨な状況に…狩猟中の事故で死去

⑤シャルル3世(肥満王)
肥満?そうなんです、本当にデブで、
全く評判の良くない王の1人。

お隣、東フランク王国の王だったシャルル3世。
西フランク王国は当時、幼子ばかりで
後継者がいなかったため、この東フランク王国の
シャルル3世に西フランク王国の王も兼ねて
もらうことになったのです。

出来が悪くても、歴史を辿れば、遠い親戚なので、
この人に頼るしかなかったんですね。仕方がないですね…

そして、なんと、シャルル3世は、イタリアの王の座も
譲渡してもらい、再度、シャルル3世のもと、
西、東、中央が1つになってしまったのです!!

ここで頑張ればいいものを…さすが肥満王。
食べてばかりで何もせず、ノルマン人に対しては
美味しいもの目当てか、かなり弱気。
巨額の富を与え、勝手に和平を結んでしまいました。

なんだこの王は!!と周りの不満はつのるばかり。
ついに、東フランク王国にいた甥のアルヌルフが兵を挙げたのです。

しかし、肥満王は、逃げ惑うばかりで甥と
戦いもせずに、2ヶ月間逃げ惑い、挙句、
死んでしまいました。最後までいいところナシだったんですね…

勝利した甥アルヌルフは、
■東フランク王国の王→アルヌルフ自ら王に
■西フランク王国の王

ノルマン人討伐に功績のあった、
パリ伯のウードに与えることと決めました

ここで、統一された西、東、中央のフランク王国は
また再び、分裂。そして、現在に至るまで、
もう2度と統一されることはありませんでした。

ウード伯のもとでフランスは再出発。
しかし、ウード伯には、思いもよらない
人物が待ち構えているのです…
それは、②ルイ2世(吃音王)
の息子シャルル3世。

父ルイ2世が死去したとき、
幼く、何もできなかった…しかし、
成人となった、まさにカロリング家の血を引く
彼の存在は…?フランスにとって、どんな影響を
及ぼしていくのでしょうか?

次回をお楽しみに★
# by cuicuifrancais | 2010-01-29 16:08 | フランスの歴史