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前回は、フィリップ1世の話でしたね。

フィリップ1世は何となく人を見る目がなく、
人望の薄いノルマンディー公のロベールに加担して
イギリスを攻めたり、挙句の果てに
ダブル不倫をして、当時のローマ教皇ウルバヌス2世から
キリスト教から破門…
息子の方が、まだまし…とフィリップ1世は家臣から
そっぽを向かれてしまいます
これには、フィリップ1世もかなりこたえたはず…

このローマ教皇ウルバヌス2世に破門されるということは
どういうことだったのでしょうか?
これには、深い理由があります

【十字軍って何?】

十字軍…聞いたことがありますね。
この十字軍を築き上げたのが、ウルバヌス2世なんです。

当時、キリスト教国家である東ローマ帝国(今のギリシャ辺り)
がイスラム教徒に攻められていました。ついに領土の1部を奪われ、
東ローマ帝国は、ローマのウルバヌス2世に助けを求めます

ウルバヌス2世はキリスト教である国々に
「神のために武器を取れ!
イスラム教徒に対して軍事的措置を!!」と
呼びかけ、また、
「この戦いに参加した勇気ある騎士達は、
罪が許されるであろう」と免罪を宣告したのです。

フランス人たちは「神の御心のままに!!」と
武器を取り、我こそは、神の臣下と、この戦いに参加しました
これが十字軍の始まりです。

しかし、ウルバヌス2世は不貞なフィリップ1世には
神聖な戦いである十字軍参加を認めませんでした。
神のために戦う、こんな大きな意味のある戦(いくさ)に
参加できないなんて…騎士たる、男としてどうですか?
最悪ですよね…ダサイとしか言いようがありません

というわけで、家臣全員が「かっこわるー!!」と
そっぽを向いてしまったのです。
彼を最後まで見ていたのは、不倫相手だけだったんですね。

こんな調子だったので、フランスは、
イギリスまたは隣の神聖ローマ帝国(ドイツ)
に比べて、国をまとめる力がなく、諸侯の反抗に
苦しめられてばかりいました。
こんなまとまりのない国家は、いつでも
攻められて当たり前。

こんなときに、フィリップ1世の息子
ルイ6世(肥満王)が王に。
このルイ6世、肥満と言う名の他に
なんと戦争王という名もあるのです。
見かけに似合わず、意外と強かったんですね

この強さには、彼の技があったのです。
彼は、非常に戦争上手でした。
しかし、武芸に長けていた、というわけではありません。
彼は、父親のフィリップ1世とは違い、家臣の心を1つに
することがうまかったのです。

隣国神聖ローマ帝国に攻められた時のこと。
もうダメだ…という時に、彼は、修道院の旗を大きく振ったのです。
この旗のもと、再度1つになって戦おう、我らには神がついている!!
「神の御心のままに!!おーーっ!!」
戦士たちは、信仰心で結ばれ、一気に逆転勝ち!!
信仰心をうまく使った戦い方をしたのです

長男が早世してしまったため、次男ルイ7世(若年王)を後継と決めます。
このルイ7世(若年王)、非常におとなしく良い青年。
やっと、フランスも安泰と思われたのですが…

ルイ6世の大きな過ちは、ルイ7世(若年王)のお嫁さん探し…
これさえ、失敗していなければ…
さあ、ルイ7世(若年王)にどんなお嫁さんが来るのでしょうか??

次回をお楽しみに★
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by cuicuifrancais | 2010-03-24 09:04 | フランスの歴史
前回は、ユーグ・カペーの血を引く、カペー家がついに
王の座を勝ち取り、カペー朝が誕生しましたね。
しかし、カペー家の血統を守ることはできても、周りの諸侯たちを
まとめていくには、前途多難でした。
さあ、カペー朝、今後どうなっていくのでしょうか?

アンリ1世が王として君臨している際は、
つまらない身内同士の争いで、信用を失い、
結局、有力諸侯たちが力をつけてしまう
結果を招いてしまいました。

アンリ1世のあと、息子のフィリップ1世が王となります。
その時、フィリップ1世は7歳。実際は、母が摂政として
実権を握っていました。フランス史上では、初の女性摂政
といわれています。

この頃、諸侯たちの中で大きな変化がありました。
ノルマンディーです。
ここで、ノルマンディーの話をしましょう

【ノルマンディーのおはなし】

ノルマンディーは、ノルマン人の築いた土地。
パリに住む王家にとって、このノルマン人は
大いなる恐怖でした。何度も攻撃されたため、
たまりかねて、シャルル3世は、ノルマン人ロロ
条約を結び、ノルマンディーをノルマン人の領土として
認めることにしました。これがきっかけとなり、
ノルマン人の力が増大していったのです。

ロロはその後、ノルマンディー公となり、
ノルマンディーの領土を統括していきます。
6代目のノルマンディー公が、ロベール2世
彼がアンリ1世にたくみに近づき、王家に対し
ノルマンディーの地位を確立させました。

このロベール2世と愛人の間に出来た子
ギョーム2世(愛人との間の子だったので庶子公と呼ばれています)
がなんと、海を渡ったイギリスの土地を我が物としたのです。
ここで、彼は、征服公と呼ばれるようになります。
ギョーム2世はイギリス王となり、名をイギリスでは、
ウィリアム1世としました。

ノルマン人がイギリス王に!!
これは、フランス王家カペー家には、
大きな不安をもたらしました。

ギョーム2世(英:ウィリアム1世)が亡くなったのち
次男がイギリス王になりウィリアム2世に即位
長男ロベールがノルマンディー公となりました

しかし、長男ロベールは、この決定に憤慨します。
長男の我こそが、イングランド王だ!!と。
そこで、フランス王家フィリップ1世に助けを求めます。

王家を散々、コケにしたノルマンディー公国…
いまさら、助けを求められても…と思いつつ、
いや、ここでノルマンディーには貸しを作って、
且つ、イギリスにも自分の力が及ぶかも…と、
フィリップ1世はノルマンディー公ロベール
ともに2度にわたり、ウィリアム2世を攻めています

このように、ノルマンディーとフランス王家は切っても
切れない仲になっていくのです

ちなみにこのノルマンディー公長男ロベール
結局、イギリス王にはなれず、そのまた弟アンリ1世(英:ヘンリー1世
に王の座を奪われてしまいます。
フィリップ1世もちょっと見る目がなかったですね…

このフィリップ1世、このほかにとんでもないことを
してしまいます。略奪愛です。
当時、アンジュー伯の奥さんだったベルトラートと不倫
元の奥さんを無理やり修道院へ送ってしまいます。
この不貞に司教や教皇は憤慨し、フィリップ1世は教会から破門させられてしまいます。

しかし、愛の絆は強く…別れられない二人。
結局、この略奪愛で、家臣の信用を失ってしまいます。
修道院に送られた妻との間に息子はいました。
息子を王にした方がいい…と生存中にも関わらず、
王の実権は息子のルイ6世(肥満王)に移ります

肥満王…大丈夫なのでしょうか?
ちょっと不安ですね。

次回をお楽しみに★
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by cuicuifrancais | 2010-03-09 17:03 | フランスの歴史
前回でついに、フランク族からフランク王国を築き上げた
カロリング朝が滅亡。
カペー朝が誕生しました。カペー朝に政権が変わったフランス。
どうなっていくのでしょうか?

カロリング朝時代に力をつけたパリ伯ユーグの息子
ユーグ・カペー
が諸侯たちに選ばれて王になった…ものの、結局、ノルマンディー、ブルゴーニュなどの
力のある地方諸侯たちに反発にかなり苦しめられます。
しかし、生存中に、息子のロベール2世(敬虔王)を世継ぎと定め、揺るぎないカペー朝の世襲の土台を固めたのです。

このロベール2世(敬虔王)。
名の通り信仰深い人なのですが、この人は子沢山で有名。
結婚を3回もし、最後の奥さんとの間には
7人もの子を残します。
この多くの子のおかげで、カペー家の血が
長く、世に続くことになり、血統の土台を固めたのです。

長男ユーグを世継ぎと定めるも、
ロベール2世(敬虔王)よりも早世。
そこで、弟のアンリ1世が王となります。

アンリ1世はもともとブルゴーニュ地方を治める
ブルゴーニュ公でした。

ここで、少しブルゴーニュの話をしましょう。

ブルゴーニュは地方諸侯として、かなり力をもち、
一度、諸侯だったラウールはフランス王にまでなっていますね。ラウールと王になった際、
その弟がブルゴーニュ公を継ぎ、ブルゴーニュの力もその間は健在でした。

しかし、その後、ジルベール・シャロンがブルゴーニュ公となった際時の人、パリ中心で力をふるっていたパリ伯ユーグにブルゴーニュの単独政治を阻まれ、パリ伯ユーグの臣下にさせられてしまいます。
そこから、ブルゴーニュは、カペー家の臣下となり、
カペー家のアンリ1世がブルゴーニュ公となり、ブルゴーニュを治めていたのです。

しかし、長男ユーグが死去。
アンリ1世はパリに呼び戻され、
王となるのです。

しかし、戻ったらとんでもないことになってしまいました。
末弟ロベールと彼を溺愛する母は、
末弟ロベールが王とばかり思って、アンリ1世を憎み始めていました。末弟ロベールと母に何度も反乱を起こされてしまいます。

さすがに、身内に何度も反乱を起こされてはかないません。
また、格好が悪い…

そんな悩ましいアンリ1世
地方諸侯たちは、たくみに近づきます。
ノルマンディー公ギューム2世は、アンリ1世の味方にうまくつき、
その代わり、ノルマンディーの領土を認めてもらう…

しかし、これでは、地方諸侯の者の力を増大させてしまうだけ…
アンリ1世は悩みます

しかし、身内での反乱をうまく収めるには、仕方がありません
このように、地方諸侯たちの手をかり、結局、諸侯たちの
力を増大させる結果を招いてしまうのです…

末弟ロベール
にブルゴーニュ公の地位を譲る
ことで解決するのですが、結局、諸侯問題の
課題を大きく残すことになってしまったのです。

中央政権と地方諸侯の問題は、まだまだ今後も続くのです。
はたして、どのようにフランスは統一されていくのでしょうか…

次回をお楽しみに★
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by cuicuifrancais | 2010-03-02 10:41 | フランスの歴史