フランスの歴史33 ブルターニュ継承問題
前回は、ついにカペー朝の血が途絶え、ヴァロワ家の
王家が始まり…しかし、初っ端からフィリップ6世は
イギリスのエドワード3世と激突…
大丈夫なの?フランス・ヴァロワ朝…というところで終了でしたね…
しかし…大丈夫?どころではなかったのです。
1337年エドワード3世はフランスの攻撃を開始
1340年フィリップ6世率いるフランス海軍はスロイスの海戦で大敗北
港を抑えられ、イギリス軍のフランス上陸への道を開いてしまうのです…
しかしイギリスもに痛手が大きかったこともあり、
1341年に停戦協定を結び、しばらく、戦争はお休みとなりました
しかし、水面下で、かなりもめていたのは、ブルターニュの地をめぐる
ブルターニュ継承問題です。これは英仏王位継承をめぐる
百年戦争の中の有名な戦いです
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
今日はブルターニュ継承問題について、ちょっと話をしましょう
フランスの歴史17 ブルターニュ女魂を復習してください
http://chezcuicui.exblog.jp/13692975/
イギリスに嫁がされたブルターニュ生まれのコンスタンスリチャード1世、その弟ジョン王を嫌い、
フランスを信じ、息子アルテュール1世をフランス王フィリップ2世に預け
フランスのブルターニュ継承を守った女性です
しかし、その後、
アルテュール1世(ジョン王によって殺害)
↓
息子アルテュール2世=1番目の妻(マリー)の間に、
■ジャン3世→●娘ジャンヌ=(夫)シャルル・ド・ブロワ(フィリップ6世の甥)
■弟ギ―
息子アルテュール2世=2番目の妻(ヨランド・モンフォール)の間に、
■ジャン・ド・モンフォール=(妻)ジャンヌ・ド・モンフォール↓
●息子ジャン4世
■ジャン3世に男児がいれば問題なかったのですが、
娘のジャンヌしかいなかったため、同じ母を持つ弟ギ―にブルターニュの地を
継承させようとします。しかし、ギ―は死亡…
ジャン3世は母の違う、スコットランド人の母ヨランドの血を引く
ジャン・ド・モンフォールがどうも信用できずに、ブルターニュの地を継承することを
最後まで良しとしませんでした。娘ジャンヌに地を継承させると決定
もちろん、フランスのフィリップ6世も甥夫婦のブルターニュ継承なら問題なくOK
大いにこの決定を支持します
しかし、ジャン・ド・モンフォールは納得しません。
「いやいや、女性に継承させるには、いかがなものかと思いますよ…
この決定は撤回して頂きたい」
ここで、
フィリップ6世、ジャン3世、娘ジャンヌ、その夫シャルル・ド・ブロワ VS ジャン・ド・モンフォールという戦いが始まったのです。もちろん、エドワード3世がのってこないわけがありません。
エドワード3世はジャン・ド・モンフォールを支持
しかし、1341年の時点では、仏英ともに停戦協定を結んでいたため、
エドワード3世は、ジャン・ド・モンフォールを積極的に支援することができず、
その間に、ジャン・ド・モンフォールはシャルル・ド・ブロワの手にかかり捕虜となってしまいます
これで一件落着…と思いきや、この時に力を発揮したのが、
妻ジャンヌ・ド・モンフォール。夫の仇と言わんばかりに、籠城作戦を続け、包囲を突破し
夫のいない城を守り続け、武勇伝を繰り広げていきます。
しかし、その力も1342年8月まで…仏英の停戦協定の期限が切れ、フランス側の攻撃を受けてしまいます…
1342年11月にエドワード3世が助けに来たものの、教皇の仲裁で、再度停戦協定
ここで、多くのモンフォール派の兵士の志気が下がり、隊を去ってしまいます
1344年再度、停戦協定の期間が切れ、シャルル・ド・ブロワはモンフォール派に追い打ちをかけます
この時、戦場となった街カンペールの住民は皆殺し、モンフォールの兵士もパリに連行され、処刑
残酷極まりない追い打ちをかけたのです
この様を見て、ジャン・ド・モンフォールは気落ちし、病死。
今後は、わずか4歳のジャン4世と妻ジャンヌ・ド・モンフォールの戦いとなりました
イギリス軍に頼るしかありません。しかし、ここで、イギリス側が大きく盛り返します。
1346年クレシ―の戦いで、シャルル・ド・ブロワは大敗し捕虜に…
女二人、両方夫を失っても、ここで終わりません。
フランスジャンヌとジャンヌ・ド・モンフォール「二人のジャンヌ」の戦いが始まりました。女性は強し!!
この女二人の戦いが、これまた長い…これから20年以上戦い続け、
捕虜から戻ったシャルル・ド・ブロワを迎えて戦った1356年ポワティエの戦い
そして、最後の決戦、1364年オーレの戦い
勝利の女神は、なんとジャンヌ・ド・モンフォールの手に!!
シャルル・ド・ブロワは戦死。ジャンヌも継承権を放棄せざるを得ませんでした
成人したジャンヌ・ド・モンフォールの息子ジャン4世がブルターニュを継承することに。
モンフォール派を支えたのは、もちろんイギリス軍。ブルターニュとイギリスの関係は
このまま継続することになり、フランスにとっては、脅威な地域となったわけです
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ブルターニュ継続問題中、フランス王家ヴァロワ朝はどうしていたのでしょうか?
1346年クレシ―の戦いの敗北で、フィリップ6世はかなり落胆…
政治も乱れ、国も混乱し、そんな中早々病死
1350年混乱の中、息子のジャン2世が王に…
しかーし、1356年ポワティエの戦いで捕虜に…
はやくも、ヴァロア朝になってから、
王がいなくなったフランス、これからどうなるの??
次回、フランスの運命は?お楽しみに
王家が始まり…しかし、初っ端からフィリップ6世は
イギリスのエドワード3世と激突…
大丈夫なの?フランス・ヴァロワ朝…というところで終了でしたね…
しかし…大丈夫?どころではなかったのです。
1337年エドワード3世はフランスの攻撃を開始
1340年フィリップ6世率いるフランス海軍はスロイスの海戦で大敗北
港を抑えられ、イギリス軍のフランス上陸への道を開いてしまうのです…
しかしイギリスもに痛手が大きかったこともあり、
1341年に停戦協定を結び、しばらく、戦争はお休みとなりました
しかし、水面下で、かなりもめていたのは、ブルターニュの地をめぐる
ブルターニュ継承問題です。これは英仏王位継承をめぐる
百年戦争の中の有名な戦いです
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
今日はブルターニュ継承問題について、ちょっと話をしましょう
フランスの歴史17 ブルターニュ女魂を復習してください
http://chezcuicui.exblog.jp/13692975/
イギリスに嫁がされたブルターニュ生まれのコンスタンスリチャード1世、その弟ジョン王を嫌い、
フランスを信じ、息子アルテュール1世をフランス王フィリップ2世に預け
フランスのブルターニュ継承を守った女性です
しかし、その後、
アルテュール1世(ジョン王によって殺害)
↓
息子アルテュール2世=1番目の妻(マリー)の間に、
■ジャン3世→●娘ジャンヌ=(夫)シャルル・ド・ブロワ(フィリップ6世の甥)
■弟ギ―
息子アルテュール2世=2番目の妻(ヨランド・モンフォール)の間に、
■ジャン・ド・モンフォール=(妻)ジャンヌ・ド・モンフォール↓
●息子ジャン4世
■ジャン3世に男児がいれば問題なかったのですが、
娘のジャンヌしかいなかったため、同じ母を持つ弟ギ―にブルターニュの地を
継承させようとします。しかし、ギ―は死亡…
ジャン3世は母の違う、スコットランド人の母ヨランドの血を引く
ジャン・ド・モンフォールがどうも信用できずに、ブルターニュの地を継承することを
最後まで良しとしませんでした。娘ジャンヌに地を継承させると決定
もちろん、フランスのフィリップ6世も甥夫婦のブルターニュ継承なら問題なくOK
大いにこの決定を支持します
しかし、ジャン・ド・モンフォールは納得しません。
「いやいや、女性に継承させるには、いかがなものかと思いますよ…
この決定は撤回して頂きたい」
ここで、
フィリップ6世、ジャン3世、娘ジャンヌ、その夫シャルル・ド・ブロワ VS ジャン・ド・モンフォールという戦いが始まったのです。もちろん、エドワード3世がのってこないわけがありません。
エドワード3世はジャン・ド・モンフォールを支持
しかし、1341年の時点では、仏英ともに停戦協定を結んでいたため、
エドワード3世は、ジャン・ド・モンフォールを積極的に支援することができず、
その間に、ジャン・ド・モンフォールはシャルル・ド・ブロワの手にかかり捕虜となってしまいます
これで一件落着…と思いきや、この時に力を発揮したのが、
妻ジャンヌ・ド・モンフォール。夫の仇と言わんばかりに、籠城作戦を続け、包囲を突破し
夫のいない城を守り続け、武勇伝を繰り広げていきます。
しかし、その力も1342年8月まで…仏英の停戦協定の期限が切れ、フランス側の攻撃を受けてしまいます…
1342年11月にエドワード3世が助けに来たものの、教皇の仲裁で、再度停戦協定
ここで、多くのモンフォール派の兵士の志気が下がり、隊を去ってしまいます
1344年再度、停戦協定の期間が切れ、シャルル・ド・ブロワはモンフォール派に追い打ちをかけます
この時、戦場となった街カンペールの住民は皆殺し、モンフォールの兵士もパリに連行され、処刑
残酷極まりない追い打ちをかけたのです
この様を見て、ジャン・ド・モンフォールは気落ちし、病死。
今後は、わずか4歳のジャン4世と妻ジャンヌ・ド・モンフォールの戦いとなりました
イギリス軍に頼るしかありません。しかし、ここで、イギリス側が大きく盛り返します。
1346年クレシ―の戦いで、シャルル・ド・ブロワは大敗し捕虜に…
女二人、両方夫を失っても、ここで終わりません。
フランスジャンヌとジャンヌ・ド・モンフォール「二人のジャンヌ」の戦いが始まりました。女性は強し!!
この女二人の戦いが、これまた長い…これから20年以上戦い続け、
捕虜から戻ったシャルル・ド・ブロワを迎えて戦った1356年ポワティエの戦い
そして、最後の決戦、1364年オーレの戦い
勝利の女神は、なんとジャンヌ・ド・モンフォールの手に!!
シャルル・ド・ブロワは戦死。ジャンヌも継承権を放棄せざるを得ませんでした
成人したジャンヌ・ド・モンフォールの息子ジャン4世がブルターニュを継承することに。
モンフォール派を支えたのは、もちろんイギリス軍。ブルターニュとイギリスの関係は
このまま継続することになり、フランスにとっては、脅威な地域となったわけです
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ブルターニュ継続問題中、フランス王家ヴァロワ朝はどうしていたのでしょうか?
1346年クレシ―の戦いの敗北で、フィリップ6世はかなり落胆…
政治も乱れ、国も混乱し、そんな中早々病死
1350年混乱の中、息子のジャン2世が王に…
しかーし、1356年ポワティエの戦いで捕虜に…
はやくも、ヴァロア朝になってから、
王がいなくなったフランス、これからどうなるの??
次回、フランスの運命は?お楽しみに
by cuicuifrancais
| 2011-04-19 08:54
| フランスの歴史
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