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フランスの歴史10 カロリング家の最後

前回は、ノルマン人討伐に功績のあったパリ伯ウードが王になり、
しかし、血が大切とカロリング家の血を引くシャルル3世(単純王)が王になり、
しかし恨みがあったウードの弟ロベールシャルル3世(単純王)が衝突…
とフランスがめまぐるしく2転3転しましたね。

しかし、ウードの弟ロベールシャルル3世(単純王)はともに戦死。
一体、誰が王になるのでしょうか?

王になるには、王に使える諸侯たちが納得する人物でなければ
なりません。この点で、王はかなり苦戦するのです。
シャルル3世(単純王)も、カロリング家の血を引いてはいたものの
単純には、諸侯達をまとめることができませんでした。
現在の政治だって同じですよね。

そこで、王の血を引いていなくても、諸侯の中で
力がある人物が諸侯たちの手によって選ばれました。
ブルゴーニュの諸侯であったラウールです
しかし、世継ぎがないまま死去したため、
再度、王はカロリング家の血を引く者に戻されます。

シャルル3世(単純王)の子、ルイ4世(海渡王)です。

この王の名前は、何故、このような名になったのでしょうか?
ルイ4世(海渡王)は、シャルル3世(単純王)と、イングランド王の
娘との間の子なのです。もちろん、イギリスと親戚関係を結んでおいた方が
武器、戦力ともに有利。このように、海外からお嫁さんをもらって、
また、娘を差し出して、同盟関係を結んでいたのです。

しかし、ルイ4世(海渡王)が生まれた920年。
父のシャルル3世(単純王)は、パリ伯ウードの弟ロベールと戦争中。
923年に父は投獄。そこで、安住の地を求めて、
当時3歳のルイ4世(海渡王)は母の実家のイングランドに身を寄せていたのです。
この海渡王という名は海を越えて亡命したことに由来しています

亡命中に、父シャルル3世(単純王)は死去、ロベールも死去、
ラウールも死去、そこで、ルイ4世(海渡王)がフランスに呼び戻されて
王になります。

しかし、長い亡命中の間に、フランスは大きく変わってしまいました。
もうカロリング家の力など、全くなく、諸侯の力が大きくなっていたのです。
ルイ4世(海渡王)も王とは名ばかり。パリ伯ユーグの力が増すばかりでした。
まさに、浦島太郎状態。あやつりやすい人物を王にして…というわけです。

ルイ4世(海渡王)の死去後も、息子ロテールが王位を継ぎます。
しかし、パリ伯ユーグの後見のもと。全く力がふるえません。
最終的には、パリ伯ユーグの息子ユーグ・カペーとの対立が
激しくなっていきました。ここに、諸侯カペー家とカロリング家に
深い溝ができてしまったのです。

ルイ4世(海渡王)の子、ルイ5世(怠惰王)が即位。
しかし、名の通り、怠惰な上に、子もなく、ここに
簡単に、カロリング家はお家断絶となります。

そこに、待っていましたとばかりに現れたのが、
もちろん、力をつけた諸侯、カペー家です。
ユーグ・カペーが諸侯たちの国王選挙で、
次の王に選ばれます。ここに、カペー朝が誕生したのです。

カペー朝に政権が移ったフランス、今後、どうなっていくのでしょうか?
次回をお楽しみに!!

【海外との婚姻関係】

ルイ4世(海渡王)は
シャルル3世(単純王)とイングランド王の娘との間の子
そして、その息子ロテールは、
ルイ4世(海渡王)とドイツ王との娘の間の子。
この頃から、諸国との婚姻関係ができてくるのです。
この婚姻関係がフランスに大きな問題をもたらしていくのです
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by cuicuifrancais | 2010-02-23 11:55 | フランスの歴史