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フランスの歴史9 フランス2転3転 その2

前回は、1度は統一されたフランク王国は
シャルル3世(肥満王)の怠惰な政治で
再び、フランク王国は3つに別れ、

西フランク王国の王には、
ノルマン人討伐に功績のあった、
パリ伯のウードがなることが決まりました。

しかし、そこに、待っていたのは、
カロリング家の血を引く、ルイ2世(吃音王) 息子シャルル3世(単純王)
この後ウードはどうなるのでしょうか?

ウードはノルマン人討伐に功績があっても、
カロリング家の血を引く人物ではありませんでした。
よくある話ですが、「ここは血統が大事!」という
諸侯たちや大司教たちの中では、
王は、シャルル3世(単純王)である!という
声が高まっていたのです。

そして、ウードが王である中、カロリング家擁護のランス大司教は、シャルル3世(単純王)
を王として戴冠させたのです。

これでは、ウードの立場がありません。
そこで、自分の功績を認め、王としてくれた
東フランク王国の王アルヌルフを頼ります。
しかし、アルヌルフは、「王はシャルル3世である」と…

ウードは、援者を失い、その後、孤立し、3年間シャルル3世側と戦った後に
死去。ノルマン人討伐では、英雄だった彼の悲しい最期でした。

ウードが死んだのち、
正式に王となったシャルル3世(単純王)
とっても単純に、ノルマン人と和平を結びます。
「ノルマンの地は君たちノルマン人にあげるから、パリ周辺を攻撃しないでください」
「それと、娘もあげますので」
といういたって、単純な条約を結びます。
この単純な条約の後、ここにノルマンディ公国が誕生します。

しかし、こんな単純な王。
やはり、周りの諸侯たちをまとめていくことができませんでした。

当時同じく力があったブルゴーニュの地に住むブルゴーニュ公ラウール
そして、なにより強敵は、ウードの弟、ロベール
兄を討ったシャルル3世(単純王)をよく思っていないのは当たり前です。

兄ウード
が死んだ989年から922年の24年間。
ロベールは耐えに耐えてきましたが、922年ついに挙兵。
シャルル3世(単純王)を追い出し、戴冠して念願の王となります。
しかし、翌年の923年、シャルル3世(単純王)も黙っていません。
二人は正面衝突。
しかし、二人とも戦死…という結末を迎えます。

さあ、この後、誰が王となるのでしょうか?
次回をお楽しみに★


【ノルマンディー】

みなさん、ノルマンディーというと、モンサンミッシェルがあって
田園風景が広がり、のどかなイメージですが、昔、
ノルマンディーといったら、ヴァイキング!!だったわけです。
シャルル3世と和平を結んだのは、ノルマン人の長であった
初代ノルマンディー公のロロン。いつも馬に乗らずに、
歩いていたということから、徒歩公という愛称が付けられています。

シャルル3世と和平を結んだ際に、
キリスト教信者となり、ロベールと名を変え、
諸侯をまとめ、勢力を伸ばしていったのです。
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by cuicuifrancais | 2010-02-15 10:40 | フランスの歴史