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フランスの歴史7 兄弟喧嘩の末に…

兄弟喧嘩の末に…

前回は、シャルルマーニュがせっかく広げた領地が
息子と孫たちの紛争により、危機に面してしまった…
そんなところまで話しましたね。

817年、ルートヴィヒ1世(敬虔王)は、
長男ロタール、次男ピピン、 三男ルートヴィヒ
に領土を分割相続させました。

しかし、823年
末っ子シャルル(カール)が生まれ、
831年に、4人で領土を分けるように指示を変えます。
納得いかない、兄3人は猛反対。
しかし、父ルートヴィヒ1世(敬虔王)は、末っ子可愛さに
意見を変えません。

事態は収まらないまま、838年に次男のピピンが死去
840年には、ルートヴィヒ1世(敬虔王)も死去します

残った
長男ロタール、三男ルートヴィヒ、末っ子シャルル(カール)
この3人の戦いとなりました。
841年には、3人が戦い、その後、独り占めを狙う
長男ロタール対三男&末っ子
まさに、子供の取り合いと同じ状態になります

842年、ルートヴィヒとシャルルは、ロタールに、
領土の分割を迫り、王国を3分割することを約束する
ウェルダン条約が成立しました

1:西側の西フランク王国→シャルルのもの
2:真ん中の中フランク王国→ロタールのもの
3:東側の東フランス王国→ルートヴィヒのもの
と決まりました

その後3人は、
1:シャルル→西フランク王国の国王シャルル2世(禿頭王)に
2:ロタール→皇帝ロタール1世に
3:ルートヴィヒ→東フランク王国の国王ルートヴィヒ2世
となります。
兄弟喧嘩の末に、
1:フランス、2:イタリア、3:ドイツの始まりが出来たわけです。

フランスは末っ子シャルルが王となり、
統治していくわけですが…その後はどうなったのでしょうか?

「禿頭王」という愛称がついているくらいなので、
まあ、「ハゲ」だったんでしょう…
彼が王となった後、その頃には、カロリング家の力も衰え、
貴族たちの統一が非常に難しく、苦労したといわれています。
877年54歳で死去。お父さんに可愛がられたまでは良かったのですが、
結局苦労の多い人生でした。髪の毛がなくなるのも分かりますね…

その後は、息子のルイ2世「吃音王」が王位を継ぎます
「吃音」なんて…また弱そうな愛称ですね。
その名の通り、病弱で、王位に2年就いた後に死去。
しかし、体が弱いわりに、奥さんが3人もいて、
正妻の間に、男児2名
2番目の妻との間に、女児1名
3番目の妻との間に、男児1名をもうけます

子孫繁栄ですが、その後、フランスは、安泰なのか…??
気になる先は、次回、お楽しみに★

【フランス最古の文献って?】

842年の「ストラスブールの誓約」です。
これは、王国独り占めを狙う長男ロタールに対し、
三男ルートヴィヒがと末っ子シャルルが同盟を交わした
誓約書です。これは、お互いの兵士たちも理解できるように
ラテン語ではない、ラテン語によりちかい文体で書かれており、
これが一般的に使われていたフランス語の
最古の文献と言われています。
by cuicuifrancais | 2010-01-25 12:22 | フランスの歴史


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