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フランスの歴史6 シャルルマーニュ誕生

シャルルマーニュ登場


前回はついに、メロヴィング家が倒れ、ピピン3世のもと
カロリング朝が誕生しました。
今日は、ピピン3世の息子、みなさんもよく聞く
シャルルマーニュの登場です

768年、父であるピピン3世が死去。
その後、弟のカールマンとシャルルマーニュは
共同治世するのですが、弟カールマンがすぐに死去。
その後46年間、一人で王の座に君臨します

シャルルマーニュのこの46年間は、
攻めて、攻めて、攻めまくる人生。
行くところ、敵ナシ。
攻めては支配し、結果として、
現在のフランス、ベルギー、オランダ
ルクセンブルグ、スイス、オーストリア、
スロヴェにア、モナコ、ドイツ、スペイン
チェコ、ハンガリー、スロヴァキア、クロアチアは
シャルルマーニュの支配下となったわけです

現在のEUは、「シャルルマーニュ支配地の再来」と
言われるほど。それくらい、彼のその威力はすごかったんですね

シャルルマーニュのスペイン攻めの様が、甥ローランの活躍を
歌った「ローランの歌」という武勲詩になって残っています。
シャルルマーニュは後の世では、英雄として文学の中に
登場する、フランスには欠かせない人物なのです

では、いったい、どんな人だったのでしょうか?
伝記作者アインハルトによれば、
身長:195cm
体系:やや小太
髪の毛:ふさふさで銀髪
声:甲高い
特技:水泳
好物:焼肉
うーん、身長が高いのはいいのですが、あとはなんだかカッコいい感じを
想像できないような…みなさんはいかがでしょうか?

結婚:5回(妻5人) 第2夫人4人
子供:約20名
晩年、娘の結婚相手を認めず、娘は許可なく勝手に
結婚し、スキャンダルを起こすことがしばしばあったとか…
晩年は、ちょっと頑固ジジイのような感じですね。

しかし、こんなシャルルマーニュ最大の不幸は、
息子がたった一人しか生き残らなかったことです。
生き残った息子の名は、ルートヴィヒ1世(敬虔王)。
彼がシャルルマーニュの死後、全土地を相続し、
単独統治することになったのです。

しかし、残念なことに、偉大なる父には全く似ず、
ルートヴィヒ1世(敬虔王)は臆病者で優柔不断でした。

ある日、王宮の一部が崩壊し破損。
それを見て、死の訪れをあらわす神の意志と勝手に判断し、
恐怖のどん底に…
敬虔王と名が付いただけに、信仰深かったのでしょう…
息子3人 長男ロタール、次男ピピン、3男ルートヴィヒ
に領土を分け与え、国の存続を託すこととしたのです。

そんな中、末っ子のカール(シャルル)が生まれます。
こんなときに生まれたカール(シャルル)を神からの生のしるしとして
溺愛。どうしても、カール(シャルル)にも土地を残してあげたい…

しかし、領土をすでにもらった息子3人はいい顔をする
わけがありません。カール(シャルル)にあげる土地はない!そういう
3人の息子組と、父とカール(シャルル)組の間に亀裂が生まれます。

この亀裂を埋められないまま、ルートヴィヒ1世(敬虔王)はあっけなく死去。
もちろん、兄弟間の亀裂は深まる一方。
こうして、英雄シャルルマーニュの築き上げた大国は、
ガラガラと音をたてて崩れていくのです。

歴史というものは、あっけなく変わるものですね。
そこがまた歴史の面白いところですね

次回は、この4人の兄弟の対立から
話を進めていきましょう

【読んでみたら?】

◆ローランの歌◆

この文学は、ちょうど、日本でいえば、
源氏物語が書かれた頃に書かれた武勲詩です。

時は、シャルルマーニュのスペイン、カタルーニャ攻め。
甥のローランは、最も危険な後衛軍に推挙され、
ピレネー山脈の地で、サラセン(スペイン)軍に襲われる。
この危機を角笛で、シャルルマーニュに知らせるべきか?
いいや、ここは、叔父の名誉のため…ローランは危機を
知らせることなく壮絶な死をとげる。
戦死直前に鳴らした角笛の音を聞いて、駆けつけた
シャルルマーニュが、サラセン軍を打ち破り、大勝利を収める。
ローランの魂は、天使ガブリエルに守られて、昇天した。
おしまい。

(これは2009年12月26日にCuiCuiメールマガジンで配信したものです)

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by cuicuifrancais | 2010-01-13 12:13 | フランスの歴史