CuiCui★フランス語お料理教室 ★www.cuicui.jp chezcuicui.exblog.jp

CuiCuiは料理、歴史と共に、楽しくフランス語が学べる教室です★


by cuicui
プロフィールを見る
更新通知を受け取る

フランスの歴史5 カロリング家の台頭

カロリング家の台頭


前回はフランク王国が均等分割相続により、
国が分裂し、その中で、貴族のカロリング家が
各地の軍事勢力を握り、権力を増していった…
というところまで話しましたね。

ちょうどこの頃、隣のローマでは、東西に分裂し、
ローマ教皇派と東ローマ帝国のビザンツ皇帝派に別れ、
対立を深めていました。
ローマ教皇はこの対立に勝つために、強力な味方を
探していたのです。

カロリング家にとっては、絶好のチャンス。
宮宰であったカロリング家のピピン3世は、賢くも
ローマ教皇に近づき、守る代わりに、王権を要求したのです。

ピピン3世は、ローマ教皇に尋ねます。
「王の称号をただ持つのみの者、
王ではないが、王権を握る者
どちらが王であるべきなのか?」と。

つまりこれは、
フランク王国の元であるクロヴィスの血を引くメロヴィング家か
それとも、カロリング家か?どちらか選んでください…ということです。

教皇の答えは
「王権を握る者が王であるべき」
カロリング家に軍配が上がったのです。

これをうまく使い、
751年、ピピン3世は、フランク王国の貴族たちから
フランク王国の王に選ばれます。
ここで、邪魔になるのが、
メロヴィング家のキルデルク3世。
ピピン3世は、キルデルク3世をすぐに捕らえ、幽閉します。

邪魔者を消し、ピピン3世は自ら王となり、
ここに、フランク王国カロリング朝が誕生したのです

ピピン3世は、まだ政治的戦略の手をゆるめません。
王位を認めてくれた教皇へ、きちんとお礼をします。
現在のイタリアのラヴェンナの地を奪い、教皇へ
その土地を寄進したのです。

このピピン3世のおかげで、カロリング家の力はゆるぎないもの
となったのです。

768年、ピピン3世は死去。
しかしその息子、カールは父を超えた
もっと大きな権力を手にするのです。

次回は、みなさんも1度は聞いたことのある
シャルルマーニュの登場です!

【観光★行ってみたら?】

◆サン・ドニ大聖堂◆

サン・ド二はパリ近郊の地。フランスでワールドカップが開催された際
このサン・ド二の地にサッカー場が建設されました。
シャルルドゴール空港から車でパリ市内に向かう際に見ることができます。
この地に、フランスの歴代の王が葬られているサン・ド二大聖堂があります。
サン・ドニは、Saint-Denis と書き、聖人ド二という意味。
サン・ド二が、モンマルトルで斬首され、その後、自分で首を持って、
この地まで歩き続け、絶命した…その話にちなんで、この地は、
「サン・ドニ」と名付けられたのです。
ここのピピン3世も眠っています。

(これは2009年11月26日にCuiCuiメールマガジンで配信したものです)

メールマガジンご購読ご希望の方は、
件名を「メールマガジン希望」として
cuicui@cuicui.jpまでお送りください
[PR]
by cuicuifrancais | 2010-01-13 12:09 | フランスの歴史