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フランスの歴史4 フランク王国の危機

フランク王国の危機

さあ、前回は481年、ついに、クロヴィスがフランク族を統一し、
フランク王国が誕生しました。「○○族」ではなく、「国」という
概念が出てきましたね

今日は、このフランク王国を見ていきましょう

481年の即位したクロヴィスは、ガリアの地を一気に
攻め、ローマ人を排除し、我が物としていきます。

486年にはガリア北部を支配。
496年には、もともとローマ支配下だったガリアの宗教であるカトリックに
クロヴィス自ら改宗し、ガリアの心をもつかみます。
500年には、現在のブルゴーニュ地方、アキテーヌ地方を支配。
508年には、パリを都を決め、セーヌ川左岸に修道院を建設。
それは、今でも、クロヴィス塔として、パリの街に残っています

しかし、そのクロヴィスも511年に死去します

クロヴィスが築き上げたこの、広大な領地。
これは、フランク人ならでは、財産分与方法「均等分割相続」
の習慣にならって、4人の息子に分割されました。
長男が継いだ方が、問題がないんじゃない?と思いますよね。
その通り。「均等分割相続」のために、フランク王国は波乱万丈な運命をたどります

息子4人は、以下4名。
テウデリヒ1世、クロドメール、ヒルデベルト、クロタール1世

この中で、クロタール1世が最も長生きし、4人に分割された
領土は1度は、クロタール1世のもとに再統一されます。
しかし、この「均等分割相続」のため、息子、その息子と領土が
分割されてしまい、領土が小さくなり、「国王」というより、どこも「分小国王」と
なってしまい、王の威厳が保たれませんでした。つまり、各国の王の
指導力不足となってしまい、統一ができなくなってきました。

王の力の代わりに、力を増していったのは、王の側近の貴族たち
そして、その貴族をまとめる「宮宰」と呼ばれる人たちでした。
この「宮宰」で権力を増していったのが、「カロリング家(朝)」の人たちです。

まず、「カロリング家(朝)」は、各分国における「宮宰」の役職を得たのです。
そこで、その地の貴族たちに、領地、特権を保障する代わりに、軍事奉仕を求め、
軍事勢力をまとめることで、権力を我が物としていったのです。

この話、どこかに似てますね。そう鎌倉幕府の「ご恩」と「奉公」です。
同じようなことが、500年代に行われていたのですね。
ちなみに、この頃、日本は、大和朝廷の時代です。

さあ、この、「カロリング家(朝)」の台頭は、この後、フランスにどのような
影響を与えていくのでしょうか?

次回をお楽しみに★

【観光★行ってみたら?】

◆クロヴィス塔◆

国家に功績のあった偉人が眠る「パンテオン」
ここには、キューリー夫人やビクトル・ユーゴー、元ミッテラン大統領が
眠っています。
その隣には、サンテ・チェンヌ・ドゥ・モン教会があります。
そこには、パリの守護神ジュヌヴィエーヴがまつられています。
そのまた隣にある高校の一角に、修道院の痕跡である「クロヴィス塔」
があるのです。是非、パンテオン近くに寄った時は見てみてくださいね

(これは、2009年11月19日にCuiCuiメールマガジンで配信したものです)

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by cuicuifrancais | 2010-01-13 12:06 | フランスの歴史