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フランスの歴史3 フランク王国誕生

フランク王国誕生

前回は、ケルトはカエサルの攻撃を受け、その後ローマ化が
進んでいった…というところまで話ましたね。

ローマは、ケルト人がいたガリアの地(現在のフランス)を
手に入れ、これで、ローマも安泰か…というところへ
ローマ人にとっては、思ってもいないことが起きたのです。

そう、1度は聞いたことがある「ゲルマン民族の大移動」です。
北から、ゲルマン人(ガリアの北東部に住む民族。主にドイツ辺りに住んでいた民族)
が南下してきたことは、ローマにとっては、大きな脅威でした。
確かに、パソコンもテレビもない時代。何を言ってるのか分からない未知な部族が
急に来たら怖いですよね…

南下の原因は、はっきりは分かっていないのですが、気候の変動などで、
食物が採れなくなり、肥沃な土地を求めて南下してきたという説が有力です。
戦いのない平和な南下もあれば、多くの戦いをしての南下もあり、その中で、
ゲルマン同士まとまり、ガリア国境からライン川周辺に居る人々を
「フランク族」というようになりました。

フランク族は、敵味方を見分けるために、みな、同じ服装、同じ髪型、
同じ武器で戦い、統一武装を始めた集団として知られています
統一された集団での攻撃は、心理的効果もあり、かなり強い集団として
恐れられていました。確かに、同じ格好の人が何人もいたら、怖いですね。

この「フランク」という言葉は、「勇敢な」という意味であり、戦いに優れており
周りからは恐れられていた…ということが分かります。

このフランク族が354年ガリアを一斉に攻撃。ローマ帝国は混乱に陥ります。
そこで、力が弱くなっていたローマ帝国は、ここは戦いを避け、フランク族に、
現在のベルギーとオランダの領地を与え、他のゲルマン人が襲って来たら、攻撃するよう、
傭兵として、彼らを迎え入れることに決めたのです。
このことにより、フランク族は、現在のベルギー、オランダの地に1世紀の間
留まることになったのです。ここで、フランク族とローマの文化が交じり合い、
現在のフランス文化の素がここで形成されたのです。

ゲルマンとローマ2つの要素をもつもの、それがフランスなんです。
フランスのラテンにも、ゲルマンにも属さない、特異な文化、性格の理由が
ここで分かるような気がしますね

そして、440年、ついにフランク族がガリアの地へ南下。その後、フランク族はガリアの地を
拠点として発展していくのです。

フランク族内での紛争の中、481年クロヴィスが、フランク族を統一。
フランク王国が誕生しました。これが、まさに、フランスの始まりと言えるでしょう。

このフランク王国、どうなっていくのでしょうか?

【これ、読んでみたら?】

◆アンドレ・シェニエ◆

フランス革命時の詩人。
古典文学や詩の翻訳で活躍しました。
フランスの歴史は長い…そんな歴史にロマンスを
感じ、フランスを愛した詩人は、フランス革命時の
「恐怖政治」の中、ギロチンにかけられ、命を奪われます。
フランスの歴史を愛し、素のフランスを守ろうとした
そんな詩人でした

◆アンドレ・シェニエの詩◆

3000年の歳月がホメロスの灰の上に流れ、
3000年このかた崇められてきたホメロスは
栄光と不死とにより今も尚若々しい

(これは、2009年11月11日にCuiCuiメールマガジンで配信したものです)

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by cuicuifrancais | 2010-01-13 12:03 | フランスの歴史