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フランク王国誕生

前回は、ケルトはカエサルの攻撃を受け、その後ローマ化が
進んでいった…というところまで話ましたね。

ローマは、ケルト人がいたガリアの地(現在のフランス)を
手に入れ、これで、ローマも安泰か…というところへ
ローマ人にとっては、思ってもいないことが起きたのです。

そう、1度は聞いたことがある「ゲルマン民族の大移動」です。
北から、ゲルマン人(ガリアの北東部に住む民族。主にドイツ辺りに住んでいた民族)
が南下してきたことは、ローマにとっては、大きな脅威でした。
確かに、パソコンもテレビもない時代。何を言ってるのか分からない未知な部族が
急に来たら怖いですよね…

南下の原因は、はっきりは分かっていないのですが、気候の変動などで、
食物が採れなくなり、肥沃な土地を求めて南下してきたという説が有力です。
戦いのない平和な南下もあれば、多くの戦いをしての南下もあり、その中で、
ゲルマン同士まとまり、ガリア国境からライン川周辺に居る人々を
「フランク族」というようになりました。

フランク族は、敵味方を見分けるために、みな、同じ服装、同じ髪型、
同じ武器で戦い、統一武装を始めた集団として知られています
統一された集団での攻撃は、心理的効果もあり、かなり強い集団として
恐れられていました。確かに、同じ格好の人が何人もいたら、怖いですね。

この「フランク」という言葉は、「勇敢な」という意味であり、戦いに優れており
周りからは恐れられていた…ということが分かります。

このフランク族が354年ガリアを一斉に攻撃。ローマ帝国は混乱に陥ります。
そこで、力が弱くなっていたローマ帝国は、ここは戦いを避け、フランク族に、
現在のベルギーとオランダの領地を与え、他のゲルマン人が襲って来たら、攻撃するよう、
傭兵として、彼らを迎え入れることに決めたのです。
このことにより、フランク族は、現在のベルギー、オランダの地に1世紀の間
留まることになったのです。ここで、フランク族とローマの文化が交じり合い、
現在のフランス文化の素がここで形成されたのです。

ゲルマンとローマ2つの要素をもつもの、それがフランスなんです。
フランスのラテンにも、ゲルマンにも属さない、特異な文化、性格の理由が
ここで分かるような気がしますね

そして、440年、ついにフランク族がガリアの地へ南下。その後、フランク族はガリアの地を
拠点として発展していくのです。

フランク族内での紛争の中、481年クロヴィスが、フランク族を統一。
フランク王国が誕生しました。これが、まさに、フランスの始まりと言えるでしょう。

このフランク王国、どうなっていくのでしょうか?

【これ、読んでみたら?】

◆アンドレ・シェニエ◆

フランス革命時の詩人。
古典文学や詩の翻訳で活躍しました。
フランスの歴史は長い…そんな歴史にロマンスを
感じ、フランスを愛した詩人は、フランス革命時の
「恐怖政治」の中、ギロチンにかけられ、命を奪われます。
フランスの歴史を愛し、素のフランスを守ろうとした
そんな詩人でした

◆アンドレ・シェニエの詩◆

3000年の歳月がホメロスの灰の上に流れ、
3000年このかた崇められてきたホメロスは
栄光と不死とにより今も尚若々しい

(これは、2009年11月11日にCuiCuiメールマガジンで配信したものです)

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# by cuicuifrancais | 2010-01-13 12:03 | フランスの歴史
ガロ・ロマンへ

前回は、現在のフランスの地に、総して「ケルト」
と呼ばれる人々が様々な文化と言葉を持って生きたいたのですが、
国家というまとまりは一切なかった…という点まで話しましたね。

この「国家」という概念を持たなかったことが、
あの有名なローマ人「ガイウス・ユリウス・カエサル」の
ケルト進攻を許してしまったのです。

紀元前58年、ヘルウェティイ族(現在のスイス近辺に住んでいた部族)が
ローマの属州になることを拒否したことを原因に、
紀元前51年までの間、カエサルはケルトを攻撃をし続けます。

最大の戦いは、紀元前52年の「アレシアの戦い」。
(アレシアは現在のフランス・ディジョン近辺)
アルウェルニ族(現在のフランス・オーヴェルニュ地方近辺に住んでいた部族。
オーヴェルニュ (Auvergne) の名はこの部族に由来)
出身のウェルキンゲトリクスが、決起を促し、ケルト民族をひとつにまとめることに
成功します。

そうなると、カエサルもそう簡単には勝てません。
またウェルキンゲトリクスは、長年、ローマ人の戦い方を研究していたため
さすがのカエサルも苦戦の連続…

やっとの思いで、この激しい戦いを制したカエサルは、ローマでの名声が高まり、
現在のフランスの地は完全にカエサルに征服されたのです。

負けたウェルキンゲトリクスはパリに送られてしまいます。

しかし、勝ったのちも
カエサルのウェルキンゲトリクスに対する敵意は並々ならぬものでした。
その証拠に、カエサルは負けた捕虜を処刑することはなかったのですが、
ウェルキンゲトリクスは、カエサルの凱旋の際に、見せしめのごとく
処刑されています。それほど、ウェルキンゲトリクスが、後々までも
英雄と崇められることをカエサルは嫌ったのです。

さて、ローマに征服された後の現在のフランスの地は、
この後500年間に渡ってローマ化されていきます。
ケルト語はラテン語に変わっていきました。

でも、思わぬところでケルト語が残っているんです。
なんでしょうか?

そう、数字です。20進法や8、15を基に考えますね。
80をquatre -vingts(20進法)
1週間を8jours
2週間を15jours
という言い方は、ケルトの名残だと言われています

しかし、わずかながらにケルト語を残すものの
言葉、文化のほとんどがローマ化されていきます。

ローマもここで安泰か…と思った矢先
歴史上大きな「ゲルマン民族の大移動」
が始まり、ローマを脅かします…

さて、今後、フランスの地はどうなっていくのでしょうか?
続きは次回。

【これ、読んでみたら?】
◆19世紀ロマン主義 ネルヴァル 「オーレリア」◆

ローマやケルトの美術に凝っていた大叔父に
育てられたネルヴァルは、子供の時から神秘思想に
感化され、夢想主義な子になる。
25歳頃に、女優ジェニーに惚れ込み、
祖父の遺産を、ジェニーにつぎ込んだ挙句、ふられる。
のち、ジェニーの死を知った彼は、ジェニーを思い、
「オーレリア」を書く

◆「オーレリア」のあらすじ◆
オーレリアを探し求め、さまよう。
見つからず、第二の人生である冥界に降り立つ。
しかし、ここでも、オーレリアに会うことが許されず、
彼女に会える甘美な夢ばかり見るようになる。
多々試練に耐え、女神によって、救われる。
新しい彼の生が始まる…おしまい。
*ストーカーになった男性の話が、
更正するような話です。

(これは、2009年10月28日にCuiCuiメールマガジンで配信したものです)

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# by cuicuifrancais | 2010-01-13 12:00 | フランスの歴史
ガリア人って?

そもそも、フランスって国はいつからあるのでしょうか?
いろいろな見解はありますが、フランク王国を統一した
クロヴィス(481年に王に即位)がフランスの元と言えます。

そのクロヴィスが現れる前は…
フランスの地は、当時ローマ人に「ガリヤ」と呼ばれる
「ガリア人」が住んでいました。
この「ガリア人」はケルトと呼ばれる民族で、
現在のフランス、スペイン、イギリス、ハンガリー、トルコ
近辺に移住してきた民族です。

当時、今のようにインターネットなどありませんので、
ローマ人は、とにかく、自分たちの地より北側辺に
住んでいる人達を、ひっくるめて皆「ガリア人」と呼んでいました。
しかし、厳密に言うと、
フランス近辺に住んでいたケルト
トルコ、ハンガリー近辺に住んでいたケルト
ブリテン諸島近辺に住んでいたケルト
とは、言葉も文化も違っていたんです。

その証拠に、
ブルターニュのには、ブリテン諸島系ケルト語の
「ブルトン語」という言語が残っています。
みなさんのよく知るお菓子「クイニーアマン」は、
ブルトン語で「バターのお菓子」という意味。
ブルターニュには、今尚、このケルトの文化
が残っているのです。

この頃、フランスの地の2/3は森林地帯。
ケルトの文化は、ローマの「石」文化に比べて
「森林」文化だったのです。
石畳の多いフランスからは想像もつかないのですが、
「石」は、その後ローマ人のもたらした文化なのです。

つまり、ローマ人が、このケルトの住む地に
やって来るわけですね。
ここで、紀元前58年、有名な人物「カエサル」
が登場する訳です。

なぜ、カエサルの進攻を許したのでしょうか?

ケルト人は、森林崇拝で「ドルイド」という僧が
神と人間の媒介をし、そのお告げによって、
すべてが決定されていました。
ロジック(論理)を重んじるフランス人の祖が
自然信仰とは…驚きですねっ
大きな石造建築を作り、そこで国家形成がなされていた
ローマと違い、国家という概念を持っていなかったことが
カエサル進攻を許す原因の1つでした。
各ドルイド中心の集落レベルで、全くまとまりが
なかったんですね。

カエサルの著書「ガリア戦記」には、こう記してあります
「ケルト人は、神々を愛し、卑しいことをせず、大胆である」

どのようにして、ケルト人たちは、ローマの進攻を受け、
どのように変わっていくのでしょうか…?

それは、また次回お話しましょう

【これ、読んでみたら?】
◆19世紀ロマン主義 シャトーブリアン 「ルネ」◆

喫茶店の名のような彼は、ブルターニュ生まれ。
海・自然を愛し、資本主義に絶望し、
メランコリックな文学で名が高い作家です。

◆「ルネ」のあらすじ◆
生まれながらに母を失い、姉メアリーだけ
を頼りに生き、過剰な情熱に悩まされ、幸福を求めて
さすらう…。姉が修道院に入った時に、姉を女として
愛していた自分に気づき、暗い宿命に絶望し、
アメリカにわたる…おしまい。

(2009年10月8日に配信したCuiCuiのメールマガジンで配信したものです)

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# by cuicuifrancais | 2010-01-13 11:57 | フランスの歴史