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カテゴリ:フランスの歴史( 34 )

フランスの歴史34 賢明王におまかせ


さあ、フランスはどうなっていくのでしょうか?
イギリスの脅威に打ち勝てるのか??
フランス王家ヴァロワ朝を見てみましょう

カペー朝からヴァロア朝に政権がうつり…
期待をしたものの…期待はずれな政治がばかり

ヴァロア朝初代王はフィリップ6世
しかし、イギリスには、フランス人の母をもつエドワード3世
がフランス王の継承権を主張…
1度は和解したものの、フィリップ6世がエドワード3世の強敵
スコットランド王をフランスに保護したため、エドワード3世は激怒
ついに100年戦争が勃発してしまうのです…
フランス歴史上最悪な事態となってしまいました…

1346年クレシ―の戦い 勝利はイギリス
大敗北で、フィリップ6世はかなり落胆…
政治も乱れ、国も混乱し、フィリップ6世はそんな中早々病死で死去

1350年混乱の中、息子のジャン2世が王に即位
しかし、1356年ポワティエの戦いでジャン2世は捕虜に…

あっという間にフランスは、王不在となってしまったのです…
「なんということだ…父が捕虜に…」
ここで、王太子であった18歳の若きシャルル5世が王に即位

しかし、この時のフランスは最悪の状態
■重なる戦争で、財政は枯渇
■イギリスには、しつこいエドワード3世
■スぺインには、やはりフランスの王位継承をねらうカルロス2世
■パリには、王政権に反抗する市民指揮者エティエンヌ・マルセル
あちこちに敵がいて、まともに戦っていたら、いくつ体があってももたない…
そんな時にシャルル5世は王になってしまったのです

すぐにシャルル5世を襲ったのは、
貧困で疲弊した農民の大反乱。1358年のジャックリーの乱
主に、フランス北東部で大混乱…
そこに、偉そうに現れたのが、カルロス2世
「オレの土地で何しやがる!!」と主犯者カルルを処刑。
これで反乱は一気に鎮圧
「やっぱり、フランスには俺様がいねーとな!」

そんなカルロス2世に近づく男が…
「カルロスさま、聞いてください。フランスの王シャルル5世は
戦争のための資金として、国民から多くの税を取り立てており、
パリ市民は疲弊しています。どうかカルロス2世さまのお力をお貸しください。
私は、パリで王とは別に、市民から税を集め、市民のためにお金を使おうと
考えております、エティエンヌ・マルセルと申します」
「そうか、俺様を、フランス国民は必要をしているのか」
「そうでございます、是非、パリへお越しください」
しかし、カルロス2世の到着を待たずして、エティエンヌ・マルセルは射殺。
ここでエティエンヌ・マルセルの乱は終了。

カルロス2世の怪しい動きがシャルル5世の頭脳を刺激!!
しかし、このシャルル5世、武芸に関することはすべてダメ…
えー、それじゃあ、カルロス2世に勝てないじゃない…
「敵が疲弊するまで待ちましょう」…えっ…大丈夫なの?

「私は戦いませんからね。でも、強い人を探しましょう。カルロスに勝てる男、知ってますか?」
「黒いブルドッグというあだ名を持つ男がおります」
「おーーー(喜)すぎに来てもらいましょう」
この強い人とは、ブルゴーニュ生まれのベルトラン・デュ・ゲクラン
早速採用。

「まずは、カルロス2世を負かしてくれますか?」
という王の依頼にベルトランは見事にその破壊力を発揮
1364年 ノルマンディーでカルロス2世と戦い、ノルマンディーを制覇
その後は、スペイン軍だけでなく、どんどんイギリス軍をもフランスの地から排除し、
1370年には、王軍事司令官までに出世します
シャルル5世は武芸はダメでも、人を見る目はあったのですね
生涯、べルトランはシャルル5世につかえます

「イギリスの海軍って強いですね…海の男はいないのですか?」
そこで白羽の矢あたったのは、海の知り尽くした男ジャン・ド・ヴィエンヌ
「王様、どう攻撃したらよろしいでしょうか?」
「うーん、派手にやらなくいいですよ、ちょっと嫌がらせしてください」
「嫌がらせですか???」
ジャン・ド・ヴィエンヌはその言葉通りに、イギリス沿岸をまんべんなく
チョコチョコ攻撃。これには、さすがのイギリスも参って、疲弊…
ついに1372年イギリス海軍に勝利
イギリスに占領された土地を取り戻すことに成功するのです
疲労と失意の上、1377年にエドワード3世は死去

これで、
■イギリスには、しつこいエドワード3世 解決済
■スぺインには、やはりフランスの王位継承をねらうスペインのカルロス2世 解決済
■パリには、王政権に反抗する市民指揮者エティエンヌ・マルセル 解決済
■重なる戦争で、財政は枯渇 ←ここが未解決

しかし、大丈夫。なんと言っても、シャルル5世のあだ名は、「賢明王」
とにかく本を読み、知識が豊富。
「武芸は他に人に任せておけばいいのです。私のすることはこれ、です
税制度と貨幣を安定させることなんです」
シャルル5世は税金の父と言われ、財政を確保する税制度を作ります

ただ一つ、解決できない悩みがシャルル5世にはありました
子供のこと。妻との間に9人も子供ができたのですが、成人しているのは2人だけ。
長男のシャルル6世は成人しているものの…ついたあだ名が「狂気王」…
ちょっと、フランス国王として大丈夫なのでしょうか????

そんなさなか、シャルル5世は1380年食中毒で死去
賢明王だったのに、食に対する知識はなかったんですね…残念な結果です…

ついに、シャルル6世(狂気王)の時代がやってきます

狂気と100年戦争…大丈夫なの??フランス…

さあ、次回をお楽しみに★
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by cuicuifrancais | 2011-08-19 15:33 | フランスの歴史
△フランスの歴史 第33回 ブルターニュ継承問題

前回は、ついにカペー朝の血が途絶え、ヴァロワ家の
王家が始まり…しかし、初っ端からフィリップ6世
イギリスのエドワード3世と激突…
大丈夫なの?フランス・ヴァロワ朝…というところで終了でしたね…

しかし…大丈夫?どころではなかったのです。

1337年エドワード3世はフランスの攻撃を開始
1340年フィリップ6世率いるフランス海軍はスロイスの海戦で大敗北
港を抑えられ、イギリス軍のフランス上陸への道を開いてしまうのです…

しかしイギリスもに痛手が大きかったこともあり、
1341年に停戦協定を結び、しばらく、戦争はお休みとなりました

しかし、水面下で、かなりもめていたのは、ブルターニュの地をめぐる
ブルターニュ継承問題です。これは英仏王位継承をめぐる
百年戦争の中の有名な戦いです


今日はブルターニュ継承問題について、ちょっと話をしましょう

フランスの歴史17 ブルターニュ女魂を復習してください
http://chezcuicui.exblog.jp/13692975/

イギリスに嫁がされたブルターニュ生まれのコンスタンス
リチャード1世、その弟ジョン王を嫌い、フランスを信じ、
息子アルテュール1世をフランス王フィリップ2世に預け
フランスのブルターニュ継承を守った女性です

しかし、その後、
アルテュール1世(ジョン王によって殺害)

息子アルテュール2世=1番目の妻(マリー)の間に、
■ジャン3世→●娘ジャンヌ=(夫)シャルル・ド・ブロワ(フィリップ6世の甥)
■弟ギ―

息子アルテュール2世=2番目の妻(ヨランド・モンフォール)の間に、
■ジャン・ド・モンフォール=(妻)ジャンヌ・ド・モンフォール

●息子ジャン4世

■ジャン3世に男児がいれば問題なかったのですが、
娘のジャンヌしかいなかったため、
同じ母を持つ弟ギ―にブルターニュの地を
継承させようとします。しかし、ギ―は死亡…
ジャン3世は母の違う、スコットランド人の母ヨランドの血を引くジャン・ド・モンフォールがどうも信用できずに、
ブルターニュの地を継承することを最後まで良しとしませんでした。
ジャンヌに地を継承させると決定

もちろん、フランスのフィリップ6世も甥夫婦のブルターニュ継承なら問題なくOK
大いにこの決定を支持します

しかし、ジャン・ド・モンフォールは納得しません。
「いやいや、女性に継承させるには、いかがなものかと思いますよ…
この決定は撤回して頂きたい」

ここで、
フィリップ6世ジャン3世、娘ジャンヌ、その夫シャルル・ド・ブロワ VS ジャン・ド・モンフォールという戦いが始まったのです。もちろん、エドワード3世がのってこないわけがありません。
エドワード3世ジャン・ド・モンフォールを支持

しかし、1341年の時点では、仏英ともに停戦協定を結んでいたため、
エドワード3世は、ジャン・ド・モンフォールを積極的に支援することができず、その間に、ジャン・ド・モンフォールはシャルル・ド・ブロワの手にかかり捕虜となってしまいます

これで一件落着…と思いきや、この時に力を発揮したのが、
ジャンヌ・ド・モンフォール。夫の仇と言わんばかりに、籠城作戦を続け、包囲を突破し
夫のいない城を守り続け、武勇伝を繰り広げていきます。
しかし、その力も1342年8月まで…仏英の停戦協定の期限が切れ、フランス側の攻撃を受けてしまいます…

1342年11月にエドワード3世が助けに来たものの、教皇の仲裁で、再度停戦協定
ここで、多くのモンフォール派の兵士の志気が下がり、隊を去ってしまいます
1344年再度、停戦協定の期間が切れ、シャルル・ド・ブロワはモンフォール派に追い打ちをかけます
この時、戦場となった街カンペールの住民は皆殺し、モンフォールの兵士もパリに連行され、処刑
残酷極まりない追い打ちをかけたのです

この様を見て、ジャン・ド・モンフォールは気落ちし、病死。
今後は、わずか4歳のジャン4世と妻ジャンヌ・ド・モンフォールの戦いとなりました
イギリス軍に頼るしかありません。しかし、ここで、イギリス側が大きく盛り返します。
1346年クレシ―の戦いで、シャルル・ド・ブロワは大敗し捕虜に…

女二人、両方夫を失っても、ここで終わりません。
フランスジャンヌジャンヌ・ド・モンフォール「二人のジャンヌ」の戦いが始まりました。女性は強し!!

この女二人の戦いが、これまた長い…これから20年以上戦い続け、
捕虜から戻ったシャルル・ド・ブロワを迎えて戦った1356年ポワティエの戦い

そして、最後の決戦、1364年オーレの戦い
勝利の女神は、なんとジャンヌ・ド・モンフォールの手に!!
シャルル・ド・ブロワは戦死。ジャンヌも継承権を放棄せざるを得ませんでした

成人したジャンヌ・ド・モンフォール
息子ジャン4世がブルターニュを継承することに。
モンフォール派を支えたのは、もちろんイギリス軍。ブルターニュとイギリスの関係は
このまま継続することになり、フランスにとっては、脅威な地域となったわけです

ブルターニュ継続問題中、フランス王家ヴァロワ朝はどうしていたのでしょうか?

1346年クレシ―の戦いの敗北で、フィリップ6世はかなり落胆…
政治も乱れ、国も混乱し、そんな中早々病死
1350年混乱の中、息子のジャン2世が王に…

しかーし、1356年ポワティエの戦いで捕虜に…

はやくも、ヴァロア朝になってから、
王がいなくなったフランス、これからどうなるの??
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by cuicuifrancais | 2011-06-23 13:55 | フランスの歴史
前回は、ついにカペー朝の血が途絶え、ヴァロワ家の
王家が始まり…しかし、初っ端からフィリップ6世
イギリスのエドワード3世と激突…
大丈夫なの?フランス・ヴァロワ朝…というところで終了でしたね…

しかし…大丈夫?どころではなかったのです。

1337年エドワード3世はフランスの攻撃を開始
1340年フィリップ6世率いるフランス海軍はスロイスの海戦で大敗北
港を抑えられ、イギリス軍のフランス上陸への道を開いてしまうのです…

しかしイギリスもに痛手が大きかったこともあり、
1341年に停戦協定を結び、しばらく、戦争はお休みとなりました

しかし、水面下で、かなりもめていたのは、ブルターニュの地をめぐる
ブルターニュ継承問題です。これは英仏王位継承をめぐる
百年戦争の中の有名な戦いです

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

今日はブルターニュ継承問題について、ちょっと話をしましょう

フランスの歴史17 ブルターニュ女魂を復習してください
http://chezcuicui.exblog.jp/13692975/

イギリスに嫁がされたブルターニュ生まれのコンスタンスリチャード1世、その弟ジョン王を嫌い、
フランスを信じ、息子アルテュール1世をフランス王フィリップ2世に預け
フランスのブルターニュ継承を守った女性です

しかし、その後、
アルテュール1世ジョン王によって殺害)

息子アルテュール2世=1番目の妻(マリー)の間に、
ジャン3世→●娘ジャンヌ=(夫)シャルル・ド・ブロワ(フィリップ6世の甥)
■弟ギ―

息子アルテュール2世=2番目の妻(ヨランド・モンフォール)の間に、
ジャン・ド・モンフォール=(妻)ジャンヌ・ド・モンフォール
●息子ジャン4世

ジャン3世に男児がいれば問題なかったのですが、
娘のジャンヌしかいなかったため、同じ母を持つ弟ギ―にブルターニュの地を
継承させようとします。しかし、ギ―は死亡…
ジャン3世は母の違う、スコットランド人の母ヨランドの血を引く
ジャン・ド・モンフォールがどうも信用できずに、ブルターニュの地を継承することを
最後まで良しとしませんでした。娘ジャンヌに地を継承させると決定

もちろん、フランスのフィリップ6世も甥夫婦のブルターニュ継承なら問題なくOK
大いにこの決定を支持します

しかし、ジャン・ド・モンフォールは納得しません。
「いやいや、女性に継承させるには、いかがなものかと思いますよ…
この決定は撤回して頂きたい」

ここで、
フィリップ6世ジャン3世、娘ジャンヌ、その夫シャルル・ド・ブロワ VS ジャン・ド・モンフォールという戦いが始まったのです。もちろん、エドワード3世がのってこないわけがありません。
エドワード3世ジャン・ド・モンフォールを支持

しかし、1341年の時点では、仏英ともに停戦協定を結んでいたため、
エドワード3世は、ジャン・ド・モンフォールを積極的に支援することができず、
その間に、ジャン・ド・モンフォールシャルル・ド・ブロワの手にかかり捕虜となってしまいます

これで一件落着…と思いきや、この時に力を発揮したのが、
ジャンヌ・ド・モンフォール。夫の仇と言わんばかりに、籠城作戦を続け、包囲を突破し
夫のいない城を守り続け、武勇伝を繰り広げていきます。
しかし、その力も1342年8月まで…仏英の停戦協定の期限が切れ、フランス側の攻撃を受けてしまいます…

1342年11月にエドワード3世が助けに来たものの、教皇の仲裁で、再度停戦協定
ここで、多くのモンフォール派の兵士の志気が下がり、隊を去ってしまいます
1344年再度、停戦協定の期間が切れ、シャルル・ド・ブロワはモンフォール派に追い打ちをかけます
この時、戦場となった街カンペールの住民は皆殺し、モンフォールの兵士もパリに連行され、処刑
残酷極まりない追い打ちをかけたのです

この様を見て、ジャン・ド・モンフォールは気落ちし、病死。
今後は、わずか4歳のジャン4世と妻ジャンヌ・ド・モンフォールの戦いとなりました
イギリス軍に頼るしかありません。しかし、ここで、イギリス側が大きく盛り返します。
1346年クレシ―の戦いで、シャルル・ド・ブロワは大敗し捕虜に…

女二人、両方夫を失っても、ここで終わりません。
フランスジャンヌジャンヌ・ド・モンフォール「二人のジャンヌ」の戦いが始まりました。女性は強し!!

この女二人の戦いが、これまた長い…これから20年以上戦い続け、
捕虜から戻ったシャルル・ド・ブロワを迎えて戦った1356年ポワティエの戦い

そして、最後の決戦、1364年オーレの戦い
勝利の女神は、なんとジャンヌ・ド・モンフォールの手に!!
シャルル・ド・ブロワは戦死。ジャンヌも継承権を放棄せざるを得ませんでした

成人したジャンヌ・ド・モンフォールの息子ジャン4世がブルターニュを継承することに。
モンフォール派を支えたのは、もちろんイギリス軍。ブルターニュとイギリスの関係は
このまま継続することになり、フランスにとっては、脅威な地域となったわけです

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ブルターニュ継続問題中、フランス王家ヴァロワ朝はどうしていたのでしょうか?

1346年クレシ―の戦いの敗北で、フィリップ6世はかなり落胆…
政治も乱れ、国も混乱し、そんな中早々病死
1350年混乱の中、息子のジャン2世が王に…

しかーし、1356年ポワティエの戦いで捕虜に…

はやくも、ヴァロア朝になってから、
王がいなくなったフランス、これからどうなるの??

次回、フランスの運命は?お楽しみに
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by cuicuifrancais | 2011-04-19 08:54 | フランスの歴史
前回は、ついにカペー朝の血が途絶え、ヴァロワ家の
王家が始まりました

ヴァロワ朝初代王はカペー家
最後の王シャルル4世の従兄弟フィリップ6世

いろいろカペー朝の問題がありましたが
1328年やっと、王として即位。やれやれ…というところでしたが…

その1年前、とんでもないことがイギリスで起こっていたのです

イギリスのことを思い出してみましょう
シャルル4世の妹イザベルがイギリスのエドワード2世と結婚して
イギリスに嫁いでいますね

エドワード2世のこと、覚えていますか?
同性愛者で、暴力、暴言は当たり前。夫としては最悪でした
もちろん、イザベルも夫エドワード2世のことなんか愛してはいませんでした
挙句の果てに、エドワード2世はフランスの王位継承権を持ちだし、
シャルル4世の怒りをかうハメに…エドワード2世シャルル4世に敗北

しかし、シャルル4世イザベルのことを思い、二人の間の子
エドワード3世と和睦し、フランスとイギリスの仲は保たれていたのです

カペー朝がうまくやってくれていたので、まあ、イギリスとの仲でもめる
ことはないだろう…そうたかをくくっていたフィリップ6世にとんでもない
知らせが!!

なんと、イザベルには愛人がいて、その愛人とともに、夫エドワード2世を廃位
二人で、権力を握り、エドワード2世の兄弟を処刑…
息子エドワード3世はこれに激怒。母イザベルを終身幽閉、愛人を死刑にします
義理姉たちの不貞を父フィリップ4世に知らせたイザベルが、こんな時に不貞とは…

母も愛人も廃したエドワード3世はフランスにも大きく出てきます。
王位継承権を主張し始めたのです。
イギリスとは問題がないと思っていたのに!!
早速、初代王フィリップ6世は大きな壁にぶちあたります

どうしたものか…?フィリップ6世は悩みます
そんな時、エドワード3世はスコットランドと戦争中
少し、考える時間ができ、ちょっと一息。
そんな矢先、そのエドワード3世がスコットランドに敗北し、
なんと助けを求めてきたのです

「助けてください…」
「なーんだか、むしのいい奴だな…気に食わないが、まあ
ここで恩を売っておこう」とフィリップ6世は、一度、
エドワード3世を助けます
調子のいいエドワード3世
「王は、なんといってもフィリップ6世さんだけですよ♪」
あっさりと王位継承権は放棄して、フィリップ6世に従うと言うのです

「またまた、単純な奴だな…まあ、従うって言っているし、
いいだろう、一件落着だ。しかし、信じていいものか」と…
まあ、悩みは残ったものの、ことは終わったように見えたのです…

しかし、次は、スコットランドの王デヴィット2世がフランスに亡命を願い出てきたのです
フィリップ6世は、デヴィット2世を大歓迎
「あの、うさんくいさいエドワード3世が攻めてきた際には、
是非、一緒に組みましょう。デヴィット2世さん
あなたと組めば勝てます。運が向いてきたぞーー!!」

これを見たエドワード3世は激怒!!
「おい、フィリップ6世、俺を裏切ったな。俺は、お前に従うと
言ったはずだ。おまえみたいに、信頼のおけない奴は王の資格がない。
やはり、フランスの王の座は俺によこせ!」

1337年エドワード3世はフランスへの攻撃を始めたのです。
これが、かの有名は100年戦争の始まりです…ヴァロア朝初代王
が自ら、100年戦争の引き金を引いてしまったのです

ついに、仏・英はただならない関係に…
大丈夫?フランス・ヴァロワ朝??
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by cuicuifrancais | 2011-03-30 19:28 | フランスの歴史
前回は、妻たちの不倫騒動で大変な王家の話をしました。

妻が不貞を働いた場合、どうなるのでしょうか?
もちろん、そのまま王妃の地位にとどまることはできません

主犯だった、ルイ10世の妻マルグリット・ド・ブルゴーニュ
弟シャルル4世
の妻ブランシュは即、ガイヤ-ル城に幽閉。
一生出してもらえませんでした。
可愛そうですが、当然といえば、当然。

しかし、フィリップ5世の妻、ジャンヌ2世だけは
夫に潔白を訴え、無罪が確定。
この夫婦は3組み夫婦の中で、比較的、信頼関係が
あったのかもしれませんね…
夫婦間の信頼関係って、昔も今も変わらないんですね…

さて、ルイ10世は男児に結局恵まれず、死去
次男のフィリップ5世が王に即位
しかし、せっかく仲直りししたジャンヌ2世との間にできた
男児はみんな夭折。結局、男児のないまま死去

三男もシャルル4世が王に即位
1人目の妻ブランシュとの間には、1男1女。しかし、2人とも夭折
2人目の妻との間にも1男。しかし、出産後母子ともに死亡
3人目の妻には、女3人…
男児には結局恵まれず…これでは、王家が滅亡してしまう…

ここにつけこんできたのが…あの同性愛のダメ義理弟
イギリスに嫁いだイザベルの夫エドワード2世です

「イザベルから聞いたぞ…フランス王家はもうダメだな。
俺の妻はおまえの妹だぞ。この俺にも、フランス地を継承する
権利があるはずだ。なんといっても、義理の弟なんだからな」

と急に、アキテーヌの土地(今のボルドーあたり)の継承権を
主張してきたのです!!

「なんと、こざかしい!!」さずがのシャルル4世もだまっていません
叔父のヴァロワ伯シャルルを頼り、エドワード2世を攻撃。
エドワード2世の主張を退けます

やっとうるさいエドワード2世を退治したものの。
そんなエドワード2世も妹イザベルの夫
夫に苦しめられてきたイザベルを思うと心が痛みます

最後にシャルル4世は、イザベルエドワード2世の間の息子
エドワード3世と和睦。母イザベルの地位と名誉を守り
死んでいったのです。

しかし、長年987年ユーグ・カペーがカロリング家に勝利し、
今まで築き上げたカペー家(朝)は、ここで、血筋が途絶え、
お家断絶…こういうこともあるのですね…

次は、誰が王になるのか?
この時、王家の中では、
シャルル4世も最後に頼ったヴォロワ家
エドワード2世攻撃の際に活躍したヴォロワ家が
目立った存在となっていました

次の王は、ヴァロワ伯シャルルの息子
(シャルル4世の従兄)のシャルル6世に決定
ここから、ヴァロワ朝が始まるのです。

ヴァロワ家はどんな家柄なのでしょうか?
ヴァロワ家は、カペー家の分家
十字軍に何度も遠征し、聖人と呼ばれたルイ9世
息子フィリップ3世(冴えない息子でしたね、覚えていますか?)
の4男シャルルの子孫にあたります

今後、ヴァロワ朝に何が待ち受けているのでしょうか?
次回をお楽しみに!!
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by cuicuifrancais | 2011-02-25 14:16 | フランスの歴史
前回までは、敵の多いフィリップ4世の話でした

そんなフィリップ4世も1314年、46才でこの世を去ります
毒殺したと言われている妻ジャンヌの間には
子供が6人。男3人、女3人と上手く生んだのですが…

しかし、行いの良くなかったフィリップ4世
生前の頃から、王家に災いが起こり始めます
1300年、長女マルグリットが死去
1314年、フィリップ4世の死後、25歳の長男ルイ10世が即位
しかし、なんと、2年後の1316年6月に死去。27歳の若さでした…

王家は途方にくれます
ルイ10世には、1番目の妻との間に、娘(ジャンヌ)しかいませんでした…
王となる男の子がいなかったのです。

しかし、ルイ10世死後、2番目の妻のお腹には、子供が…!!
男子であって欲しい!!王家は皆、心から祈りました
1316年11月…出産の時が…

なんと、男児!!これで、この子が生まれながらにして王となったのです。
赤ん坊ですが、王は王。王ジャン1世の誕生です。
これで、王家の血筋は確保できた。皆、ホッとしました…

ところが、そんな幸せは束の間…ジャン1世は生後5日後にして死去

もう、これは、フィリップ4世を恨んで死んだ人々の怨念に違いありません
王家の直系男児はここについに断絶したのです…

そこで、では、ルイ10世の一人娘ジャンヌを王にしたら、どうだろう?
という話が持ち上がります。女性は王にはなれない…そのような決まりはありますが
なんとしても、王の直系の血筋を守りたい、女性の王でもいいのではないか?
そのような意見が持ち上がります

しかし、ここに大きな問題が!!

ジャンヌは、ルイ10世とルイ10世の1番目の妻(マルグリット・ド・ブルゴーニュ
との間の子。一体何が問題だったのか…

1305年、ルイ10世マルグリットは結婚
1314年、ルイ10世(25歳)は即位。同時にマルグリット(24歳)も王妃となりました

しかし、即位の2年前1312年頃から、マルグリットは、夫の不在時に
学生や騎士をセーヌ河沿いにある塔の中に誘いこみ、一夜のアヴァンチュールを
楽しむようになっていたのです。
それも、一人で楽しめばいいものを、
ルイ10世(長男)の弟(次男)フィリップ5世の妻、ジャンヌ2世弟(三男)シャルル4世の妻、ブランシュも誘って、やりたい放題

しかし、3人の夫たちは長くこれに気付いていなかったのです…

そこに、彼らの妹(イザベル)が嫁ぎ先のイギリスからやってきました
イザベルは、イギリスのエドワード2世に嫁いでいたのですが、
このエドワード2世は同性愛者という噂もあり、夫婦仲がうまくいっていませんでした。
そこで、実家の父(フィリップ4世)や兄たちに、何とかして欲しいと訴えに来たのです

しかし、兄たちに話をしようとも、兄たちは忙しく、相手にしてもらえません…
では、義理姉たちに話を聞いてもらおうとすると…

「お姉さまたちは、どこに行くのかしら?…こんな時間に?」
後をつけて行って、イザベルはびっくり!!!

「お父様、お父様!!大変です。お姉さまたちが、セーヌ河沿いで…」
フィリップ4世は、イザベルからことの次第を聞き、あまりのショックに
病の床に…長女は早死し、3人の息子は、妻にコケにされ、
末娘の夫は同性愛者…

フィリップ4世は、子ども達の、あまりにも
悲劇的な結末に、ショックを受け、ショック死した
とも言われています。

よって、ルイ10世の娘ジャンヌは、本当にルイ10世の子か
分からない…ということで、王にすることはできなかったのです。

ここに直系男児は本当に断絶。
そこで、ルイ10世の弟(次男)フィリップ5世が即位
しかし、妻ジャンヌ2世との間には、女の子のみ…

ジャンヌ2世は不貞を働いていたにも関わらず、女の子ばかりだったんですね…
女腹(おんなっぱら)というものですね。ここで、不貞でも男児が生まれていれば、
もしかしたら、不貞に目をつぶって、王家の血を存続させたかもしれません

フィリップ5世亡きあとは、結局、その弟(三男)シャルル4世が即位します

フィリップ4世の老後からの王家は、とんでもないことばかり…
やはり、フィリップ4世には、天罰が下ったとしか
言いようがありませんね

次回も王家の結末を一緒に見ていきましょう★
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by cuicuifrancais | 2011-02-16 08:21 | フランスの歴史
前回は、フィリップ4世と教皇ボニファティウス8世
戦いのお話をしましたね。

これは、フィリップ4世の勝ち。その後は、
クレメンス5世から後6人の教皇が70年間の間
フランス、アヴィニョンの土地に滞在し、
フランス王の支配下に置かれることになったのです

フランドルの土地は手に入れることが
できなかったフィリップ4世ですが、
教皇の権力は奪うことができました。

しかし、もう1つフィリップ4世
気に食わないことが…
それは、テンプル騎士団です

テンプル騎士団とは何なのでしょうか?
歴史は第1回十字軍遠征にさかのぼります
そもそも、十字軍の話をみなさん覚えていますか?
忘れてしまった方は、CuiCuブログを見てみましょう

http://chezcuicui.exblog.jp/13189397/

そうです、聖地エルサレムがイスラムに
奪われようとした際、「神の御心のままに!」と
各国がこぞって、エルサレムに向かい、
巡礼者が巡礼できるよう、聖地奪回のために戦ったのですね

フィリップ4世の祖父ルイ9世は第7回十字軍、第8回十字軍
に出兵し、命をかけて、聖地そして神のためにたたかったのです。

テンプル騎士団は、第1回十字軍遠征の際に
ユーグ・ド・バイヤンというフランス貴族が9名騎士を集めて
巡礼者の保護を目的に戦闘活動を始めたのが始まりです

目的はあくまで「戦闘」。神にそむく者はすべて殺害する…という
ちょっと怖い思想をもつ団体でした。
十字軍にとっては、好都合。しかし、相手方にとっては、怖い存在でした

第3回十字軍の最大のライバルであったイスラム側のサラディン
フィリップ2世、イギリス王リチャード1世が戦った相手です)
サラディンは、フランス、イギリスの捕虜は殺さないと約束。
その彼さえも、テンプル騎士団だけは、
全員殺害するよう命を出したのです。
いかにテンプル騎士団が恐れられ、
また戦闘意識が高かったから分かりますね

とにかく、戦いのプロですので、十字軍での働きは相当なもの。
戦いの旅に、土地やお金など、たくさんの褒美をもらい、騎士団は
とても裕福な団体となっていきます。

そこで、世の中は、フィリップ4世の時代
祖父の代での十字軍遠征で、莫大なお金を使い、
王家は財政的に厳しい環境だったのです。

「うーん、教皇からは税金をもらうことになったし…
次は、そうだな、テンプル騎士団だな」
とフィリップ4世の目がテンプル騎士団に向いたのです

当時、テンプル騎士団と聖ヨハネ騎士団と騎士団が2つありました
この騎士団を自分の命令で合併させ、合併後、自ら、騎士団長となり
中のお金を自由に使おうと考えたのです。
しかし、フィリップ4世という男。ほんとにせいこですね!!
こんな話に、いい大人がのるはずがありません。
もちろん、テンプル騎士団の団長の答えはNo!!!

「断るなんて、バカだなー」とフィリップ4世

フィリップ4世は自分のいいなりになる教皇クレメンス5世を訪ねます。

「クレメンスさん、何だかテンプル騎士団
入会の際に、怪しい儀式をしているらしいのですよ。
これは、反キリスト教への誓いであり、悪魔崇拝です。
テンプル騎士団を異端者として
異端心の審問にかけたいので、ここに署名してください。いいですね」

「いや、しかし…フィリップ4世さま。テンプル騎士団はイエス・キリストのため
に命をかけ、今まで戦ってきているのですよ…異端なんて…」

「では、あなたも火あぶりの刑ですか?」

クレメンス5世は署名をし、今後、テンプル騎士団を禁止します
もう、フィリップ4世に逆らえる人は誰もいないのです

テンプル騎士団は、一斉に逮捕、そして、処刑。
フィリップ4世がお金欲しさにテンプル騎士団を弾圧してことを知っていた団長は、口封じのため、生きたまま火あぶりとされたのです

神のために、戦い、それだけを目的にしてきたテンプル騎士団彼らは、汚名を着せられたまま死を迎えたのです

1907年ドイツの歴史学者によって、やっと
テンプル騎士団フィリップ4世の罠により汚名を着せられた…とされ、やっと名誉回復に至るのです
この歴史的発見により、フィリップ4世は、後世に類のない悪名
を残すことになったのです

次は、フィリップ4世の長男、ルイ10世が次の王となります
しかし、王家に大変なことが起こります
フランス王家継承なるか!!
次回をお楽しみに★

フランスを知るなら、まず
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by cuicuifrancais | 2011-02-04 10:36 | フランスの歴史
前回は、カッコいいけど、「せこい」フィリップ4世
フランドル攻めの話をしました。
今日はフィリップ4世の名を皆が知る「大事件」の
話をしましょう

前回、フランドル伯ギ―をだまして、フランドルを攻め
結局敗北しましたね。
フィリップ4世の的は、フランドルだけではありません!!

大敵は、なんといっても税金を課税されていない教会関係者。
「我々は、こんなに戦っているんですからね、あなた達はお金くらい
支払うべきでしょう、何、楽してるんだ!!」
とばかりに、教皇をはじめ、教会に課税します

これに腹を立てたのが、教皇ボニファティウス8世

「フィリップ、何を言っているのだ。誰のおかげで、
国が安泰なのだ。我々が神に仕え、祈っているおかげ
だろう!!教皇の私が決め、教皇の指示に
従うのが筋というもの!!このバカ者が!!」
と、教皇絶対主義の教皇ボニファティウス8世全面対立になります。

まあ、正直言うと、この教皇ボニファティウス8世
「オレ様1番」的な考えもどうかと思うのですが…
まあ、フィリップ4世も大人げなく、このケンカを買うのです

フィリップ4世は、教皇ボニファティウス8世を徹底的に叩き始めます
「オイ!十字軍遠征を見てみろ!!ボロボロに負けて、国の破たんを招いている!
これは誰のせいだ?そう、まさに、教皇のせいだ。教皇の判断が誤っているからだ」
と皆に呼び掛けます
だんだんと世論はフィリップ4世に傾いてきます。

こんどは、教皇ボニファティウス8世
「おまえは破門だ!!」
フィリップ4世を破門します。
このキリスト教が支配する時代、破門はかなりの罰

こうなっては、フィリップ4世もだまっていません
「おのれ!!恥をかかせたな!」
と教皇ボニファティウス8世をついに追いつめ、アナーニという街で捕らえます
これをアナーニ事件といい、
フィリップ4世の勝利。
彼の名を広めることになったのです

教皇ボニファティウス8世はショックのあまり死去
(これに関しては、毒殺の疑いはありません。本当にショックだったんでしょうね)

彼の次に教皇になったのは、クレメンス5世
こんな大胆なことをするフィリップ4世のもと、
教皇になるのはいやだな…と思うのは当然

クレメンス5世のいやな予感は的中

「クレメンスさん、申し訳ないですが、フランスに移住してくださいね
これからは、私の管理下で、お過ごしください。いやいや、危害は加えない
ので、大丈夫です。南のアヴィニョンにお住みください」
フィリップ4世

今後、教皇は、ローマではなく、フランスのアヴィニョンに住むことになるのです。
これが、かの有名は「アヴィニョン捕囚」です
この時以来、フランス王の力が教皇に勝ります

ワイン好きな方は、シャトー・ヌッフ・デュ・パップ
というワインをご存じですね。
このワインは、「教皇の新しい城」という意味のワイン。
まさに、捕囚されていた教皇のために作ったワインなんですね

アヴィニョンの法王庁は今では、世界遺産
是非、旅の際には立ち寄ることをお薦めします★

次回は、まだいるフィリップ4世の敵
テンプル騎士団のお話をします
お楽しみに★
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by cuicuifrancais | 2011-01-24 07:55 | フランスの歴史
前回は、カッコいいけど、冷淡なフィリップ4世の話しをしました。
今日もフィリップ4世の話しを続けましょう

まず、とにかく、フィリップ4世はフランドル(今のベルギー)を何とか
自分のものにしたかったのです。
そのために、好きでもない女性と政略結婚までした…
しかし、なかなか、フランドルは自分のものになりません…

もちろん、フランドルもそう簡単にフィリップ4世には負けられません
フランドル伯ギ―はフィリップ4世の脅威を感じ、イギリスに
助けを求めていました。密か娘をイギリス王エドワード2世と結婚させたのです

「生意気な、フランドルめ!!」
フランドルの娘とエドワード2世の結婚を破談にしろなどと
言ったものの、聞いてもらえるわけがありません。
フィリップ4世の怒りはおさまりません

「今にみてろよ、ギ―…」
フィリップ4世は作戦に出ます

「フランドル伯ギ―よ、私もよく考えたのだが、これは、完全に私に負けです。
イギリスとフランドル2国には、フランスは到底勝てません。
ここは和平を結ぼうではないですか」
とフランドル伯に和平を求め、和平交渉に乗り出します

もちろん、こんな交渉は嘘。交渉途中でギ―を幽閉します
まったく、カッコいいのが台無しなくらい、残念ながらフィリップ4世
“こまい”男なのです

しかし、この「せこい」やり方に、フランドルの国民の怒りは爆発
フランドルの市民兵が立ちあがります。これは、有名は
1302年「金拍車の戦い」といいます。
ベルギーでは、この戦いは、ベルギーの独立を
守った戦いとして伝えられています。
そして、歴史上、初めて、市民歩兵に、重装騎士が負けた戦いとしても有名です
フィリップ4世は、かなりの汚名を残すことになってしまったのです

その後、フランドルとの戦いは続くのですが、
結局、フィリップ4世は生きているうちにフランドルを手に入れることが
できないのです…フランドルは、「せこい」策に負けず、強かったということです

1305年、政略結婚した妻ジャンヌが死去
この死因がはっきりせず、ジャンヌは、
フィリップ4世に暗殺されたとも言われています
フランドルに近い、シャンパーニュの地が必要だったので、シャンパーニュ伯の娘ジャンヌ
結婚したものの、フランドルとの戦いがうまくいかなくなり、シャンパーニュ伯の力が
強くなることを恐れ、妻を殺害し、親戚関係を切ったと言われています
うーん、本当だとしたら、かなり冷酷極まりないですね…

そして、時期を同じくして、もう1つの敵が現れます
教皇です

「まったく、自分が1番のような顔をして、気に食わん」
フィリップ4世は、教皇にも一般同様税金を課し、
教皇に対抗するために、「三部会
を設立します。ノートルダムに、聖職者、貴族、平民の3身分を集め、
投票で、何でも決める体制をつくったのです。

これを知った教皇ボニファティウス8世は驚きます!
「この私の命を聞けないというのか!!」
これまで、教皇の言うことは何でも聞く…が当たり前の
世の中。フィリップ4世の行動は、大胆極まりないものでした

この三部会は、フランス革命の際に再度、
開催され、王家はギロチンにかけられます…
フィリップ4世は、教皇の権力から離れ、フランス王家の独裁を望んで
この「三部会」を設立したのに、
約700年後の1789年には、王家を潰す土台になるとは、なんとも歴史は皮肉ですね

さあ、次回は、教皇VSフィリップ4世です
どちらに軍配があがるでしょうか?
次回をお楽しみに★
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by cuicuifrancais | 2011-01-24 07:52 | フランスの歴史
前回は、信仰深いルイ9世の息子フィリップ3世
全くもって平凡な一生のお話でした…

しかし、これを冷静に見ていた息子フィリップ4世
「オレは親父や爺ちゃんとは違うぜ!何が十字軍だ、
何が教皇だ、ばかばかしい。神なんかより、剣の腕だよ、強けりゃいいんだよ」
と、今まで、身分の高かった聖職者たちを差し置いて、一般の官僚を
高い身分に起用し、聖職者たちを驚かしました

当時の教皇ボニファティウス8世はこの振る舞いに
憤慨します。「あの若僧め、何を考えているのだーーー」

しかし、フィリップ4世には狙いがあったのです。
羊毛製品の製造で大きく富をなしている隣国フランドルを武力で
なんとか自分のものにしたい!そう思っていました

そこで、剣の腕のたつ官僚たちを起用し、
聖職者たちには、戦費のため、教会に課税したのです。
これによって、ボニファティウス8世をはじめ、多くの
聖職者たちを敵に回すことになったのです

フィリップ4世の周りは、敵だらけ…
1:フランドル
2:フランドルを支援するイギリス
3:教皇

でも、フィリップ4世「そんなのかまうもんか」と全く動じず

妻はシャンパーニュ伯の娘ジャンヌ
フランドルを攻めるには、パリに近いシャンパーニュを抑えておく
必要があり、愛というよりは、野望のため。

フィリップ4世は、顔はいいが、なんでも合理的に考え、
冷酷な人だったとか…
そんなフィリップ4世の大胆かつ冷酷な政治はいかに?

次回をお楽しみに★
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by cuicuifrancais | 2011-01-24 07:47 | フランスの歴史