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カテゴリ:△フランスの歴史

  • △フランスの歴史38 薔薇よりもろく、美しく…
    [ 2011-12-22 09:37 ]
  • △フランスの歴史 37 蜘蛛男の孤独
    [ 2011-12-06 07:56 ]
  • △フランスの歴史 36 薔薇と蜘蛛
    [ 2011-12-06 07:55 ]
  • △フランスの歴史 35 100年戦争終結
    [ 2011-09-14 14:33 ]
  • △フランスの歴史第34回  賢明王におまかせ
    [ 2011-08-19 15:33 ]
  • △フランスの歴史 第33回 ブルターニュ継承問題
    [ 2011-06-23 13:55 ]
  • △フランスの歴史33 ブルターニュ継承問題
    [ 2011-04-19 08:54 ]
  • △フランスの歴史32 大丈夫?ヴァロワ朝
    [ 2011-03-30 19:28 ]
  • △フランスの歴史31 ヴァロワ家の誕生
    [ 2011-02-25 14:16 ]
  • △フランスの歴史29 フィリップ4世の天罰
    [ 2011-02-16 08:21 ]

△フランスの歴史38 薔薇よりもろく、美しく…

前回は、嫌われ者ではありましたが、でも、
フランスに貢献したルイ11世、俗称、蜘蛛男の話でしたね
そんな彼も1483年に亡くなります。生まれが1423年なので、60歳で
亡くなりました…当時としては、まあ、長生きでした

次の王は、息子のシャルル8世。
実はこの時まだ13才…まだ、子供でした
ルイ11世が47歳の時に生まれた子なんです

ちょっと、ここで、また父ルイ11世の話に戻りましょう
ルイ11世は、イギリスの薔薇戦争の際、
父シャルル7世のすすめで、
ブルゴーニュ公国が支持するヨーク家の敵
ランカスター家のマーガレットと政略結婚させられます

シャルル7世:
「ルイ、イギリスに素晴らしい娘がいる。名はマーガレット。
詩人としても知られていて、頭もよく、きっと気に入るぞ」

しかし、その時、ルイ11世は13歳 マーガレットは12歳
全く、ルイはマーガレットには興味を抱きませんでした

ルイ11世:
「父上の好みはおかしい、あんな女、どこがいいんだか…
毎回、宮廷で詩人の会なんかを開催しているようだが、他の男と
浮気でもしてるんじゃないのか?バカバカしい」

この言葉にマーガレットはショックをうけ、
病気がちになってしまいます
そして、子をなすことなく、21歳の若さでこの世を去ります
残した言葉は、…涙ながらに、
「もう、わたくしに、私の人生の話をしないでくださいね」
きっと、彼女の美しい詩のように、心も美しく、感受性あふれる
女性だったのでしょうね…かわいそうです(涙)

ルイ11世:
「死んだ?ふん、まあ、いい…しかし、こんなバカバカしい詩を残して
こんなものゴミ同然だ、すべて捨ててしまえ」

彼女の詩のほとんどは、ルイに手で処分されてしまい、いまや残っていません
ここまで、するとはひどい!!女として許せない!

もちろん、マーガレットとの間に子はナシ
これでは、またもや、お断絶の危機が…
そこで、マーガレットが亡くなってから6年後の
1451年、ルイ11世28歳の時に、再婚を決めます

「前は、父上が決めた相手だったからいけないのだ、今回は自分で決める!」
再婚相手に選んだのは…サヴォワ公の娘、シャルロット・ド・サヴォワ
なんと、当時8歳…犯罪ですね、これは。
12歳だったマーガレットに比べシャルロットは若い!!
若い娘が好みだった…とも考えられますが、ここは、蜘蛛男。
口答えせず、自分の考えに染まる女を求めていたのです
それに関して、子供のシャルロットはうってつけでした

20歳年上の蜘蛛男に嫁がされるなんて…
考えただけでも涙です…が、シャルロットは、7年たち15歳になった
1458年から1年~2年おきに子供を生み、29歳になった1470年、
次の王となるシャルル8世を生みます
全員で8人の子をもうけます

あれっ?こんなに子供がいて、やっぱりルイはちょっとでも
シャルロットのこと愛してたんじゃないの??

そう望みたいところですが、やはり、妻を愛してはいなかったんです…
なんと、シャルロットを敵であるブルゴーニュへ人質同然として行かせます

何も分からないまま、8歳で蜘蛛に嫁がされ、
7年待って、子供を産まされ、最後は、人質…
女の人生は、薔薇よりももろいですね

シャルロットは1483年8月の夫の死を追うように、
同じ1483年12月にブルゴーニュの地で亡くなるのです…

さあ、次はその子シャルル8世の時代に
うつりましょう…この子も蜘蛛の子、
ちょっと癖者です
フランスの行く末は??
次回をお楽しみに★

by cuicuifrancais | 2011-12-22 09:37 | △フランスの歴史

△フランスの歴史 37 蜘蛛男の孤独

何とか、シャルル7世の時代に終わった
【フランス】対【イギリス+ブルゴーニュ軍】の100年戦争…
時代は、その息子ルイ11世に

ルイ11世「薔薇戦争で仲間割れしたイギリスなんて興味ないわ!
それよりも我が目を盗んで、イギリスを支援した
あのバカ、イノシシシャルルめ!!気に食わん、どうにかしてやるっ」

ブルゴーニュ公シャルル
「あの嘘つき蜘蛛男(ルイのこと)め。フランスをお前の好きにさせるかーー」

王家のルイ11世とブルゴーニュの長、ブルゴーニュ公シャルル
は犬猿の仲…お互いを蜘蛛(ルイ)、イノシシ(シャルル)とののしり合い
とにかく、気が合わない!!

大人の事情なのか、子供なのか分かりませんが、この2人のケンカは
1467年から1477年の10年、陰謀に陰謀を重ねて続くのです…
ちゃんと政治やってよね…と思わず言いたくなりますね、
どの国も、どの時代も同じなんですね…

さて、その大人げない2人の10年のケンカを見ていきましょう

■ケンカその1:「蜘蛛男、和平に見せかけるの巻き」
蜘蛛
「シャルル、やはり、フランスはこれではいけない、我々、力ある2人が
フランスを引っ張っていかなくては。そうだろ??」

イノシシ
「おっ、おまえ、一人で、この敵地ブルゴーニュにやって来たのか。軍も率いずに…(涙)」
蜘蛛
「当たり前だ、友よ」(抱き合う二人)

帰り道、蜘蛛、ブルゴーニュの支配下リエージュに立ち寄る
蜘蛛
「大変だ、あの男(シャルル)は…このリエージュの地を裏切ろうとしている。
 気を付けた方がいい、今、すぐに、シャルルを始末することをお薦めする、
私も協力するぞ、ふふふ」
    
結果:蜘蛛の陰謀がばれてしまい、蜘蛛、イノシシの捕虜となる

■ケンカその2:「イノシシ、仲間を募るの巻き」

イノシシ
「蜘蛛め…あんな信用ならない男はいない…
このままでは、あんな奴にフランスを自由にされてしまう
フランスが危ない!!なあ、そうだろう、みんなもそう思うだろう?
このままでは、我々も危ない」

「確かに…」という貴族もいて、その貴族達と同盟「公益同盟」
(同じ利益ある仲間…露骨な名前ですが)
を組み、団結します。もちろん、蜘蛛がいい顔をするわけがありません。
火に油…です。しかし、1473年には、公益同盟が王家を破り北フランスの
ロレーヌ・ピカルディーは王家から同盟のものとなります

■ケンカその3:「蜘蛛、ガイジンを雇うの巻き」

蜘蛛
「なんだ、あの公益同盟というのは!!!むかつく奴らだ!こうなったら、
金で物を言わせてやる!」
蜘蛛はお金でスイス兵を雇い(傭兵といいます)
そのスイス兵に、公益同盟に仕返ししてもらいます

このケンカの勝利は?どっち??
何だか、個人的には、イノシシの方が、率直でいい人に思えるけど…でも
突進するだけのイノシシじゃ勝てないのかしら??

そう、実は、蜘蛛の勝ち。
1477年スイス傭兵と1473年に奪ったはずのロレーヌが手を結び
ナンシ―で公益同盟と衝突。戦いからたった3日後にシャルルの遺体が発見されます

ここからは、もうルイ11世の思うがまま。
ブルゴーニュも王家に支配されます
フランスの統一を成し遂げるのです

また、教皇とも和平を結び、フランス国王に国内の聖職禄(せいしょくろく)
(教会から一定収入を受け取る権利)を認めさせ、さらに、王家の財政基盤を
固めたのです。今まで、どんな国王も教皇には勝てなかったのですが、
こうなると、王家の政治と聖職は別、教皇は尊敬はするが、政治には口を出すな
ということになり、王家の力が強まったのです

ふーん、でも、なんかこの蜘蛛男、あんまり好きじゃないかも…
そうんなです、彼、嫌われ者だったんですよね

でも、印刷、養蚕、鉱山開発…国内の産業にはかなり功積のある人
フランスの和平と財政確保のために、かなり働いた人なんです

王家を守るため…それだけを考えて、一人、父も殺し、孤独に考え
孤独に生きた、そんな男だったんでしょうね

いろんな仲間に囲まれて、ちょっと明るく、
「おーい、行くぞ、みんな、おーーーー!」
みたいな、正当派ガキ大将シャルルには、ちょっとした嫉妬もあったのかも…

そんな目でみると、蜘蛛男の孤独もちょっと魅惑的??

1483年にルイ11世が亡くなり、その子供シャルル8世が王を継ぎます

さあ、時代はどう進んでいくのでしょうか?
次回をお楽しみに★

by cuicuifrancais | 2011-12-06 07:56 | △フランスの歴史

△フランスの歴史 36 薔薇と蜘蛛

ついに、長い100年戦争が終わりましたね…ここで過去をふりかってみましょう

3分間歴史スタート

ルイ7世の時に、妻エレオノールが英国王ヘンリー2世と
浮気をして結婚して以来、イギリスとの仲は最悪に…
その子供、フィリップ2世は長々と英国リチャードと喧嘩
その子供、ルイ8世は、イギリスに対し優勢だったにも関わらず、
妻の浮気で、妻と浮気相手(チボー4世)に毒殺され…
その子供、ルイ9世は十字軍だけに執着…莫大な借金をつくり
その子供、フィリップ3世は父ルイ9世の七光で終わり、
その子供、フィリップ4世は、法皇を幽閉…
その子供、ルイ10世は、若くして病死
その後、弟のフィリップ5世、そのまた弟のシャルル4世が
王を継ぐが、妻が浮気をしていたため、妻の子が本当に自分の子か
分からなくなり、お家断絶…

いとこのフィリップ6世が王に。
この時、この混乱を待ってました…といわんばかりに
イギリスが攻撃開始
その子供ジャン2世が戦いに挑み、失敗。捕虜に…
その子供、シャルル5世がかなり頑張ってフランスを立て直したのは束の間
子に恵まれず、
生き残った子供、シャルル6世はタロットで政治を行う狂気王…
ここで、家臣の仲間割れ…
ブルゴーニュ派(イギリスに味方)VSアルマニャック派(仏王家に味方)
その子供、シャルル7世の時に、ジャンヌダルクが現れ、ブルゴーニュと英国連合軍を打破
その後、ブルゴーニュ派と組み、フランスは、英国に勝利…

うーん、何とか勝ったものの…
今後は大丈夫なのでしょうか?
今日は、その子供、ルイ11世から話をしましょう

1461年にシャルル7世が病死…1461年にその子供、ルイ11世が即位
でも、この死…ちょっとおかしいのです…

ルイ11世
父上、どうして、そんなにブルゴーニュを信用するのですか?
一度は、こちらに刃を向けた者ですよ、私は、信用する気になれない
いっそ、ここは、叩き潰した方がいいのでは??」

シャルル7世
おまえは、気が荒らすぎる。そんなに戦ってどうする?財政はどうだ?
もっと、よく考えて、行動するのだ

ルイ11世
そんな弱気な王に誰がついてくるのですか?ブルゴーニュは、英国の薔薇戦争に介入し、
相変わらず、権力を欲しています。そんなやつらを野放しにしておくのですか?」
こんなケンカが絶えなかったのです…親子仲が悪かったんですね

シャルル7世が急に食事をしなくなったのは、息子のルイ11世に毒殺されるのでは?
と恐れ、食事をせず、餓死したと言われています

薔薇戦争ってなんでしょうか?
これは、イギリスの戦争なのですが、連合を組んでいたブルゴーニュが介入しています
1453年シャルル7世がヘンリー6世率いるイギリス軍を追い詰め、ボルドーの土地を
奪い返し、100年戦争は、フランスでは、一応、終結します

しかし、イギリスの中では、フランスに負けたヘンリー6世は信用を失い、
その代わり、ヨーク家のリチャードが台頭してきます。

「ヘンリー6世はダメだ…それに、かかあ天下で妻のマルグリットに操られている…
まったく、あの女、フランスから来たにも関わらず、何の持参金も持ってこない、
そんな女と結婚したヘンリー6世はバカだ」
妻のマルグリットは、フランスロレーヌ公の娘でルイ11世の従姉妹、
100年戦争の和平交渉の一環でヘンリー6世のもとに嫁がされました…が、
しかし、イギリスでの評判は散々なものでした

王はやっぱり、ヨーク家のリチャード!という評判が高まり、ついに、薔薇戦争が!

ヘンリー6世を支持するランカスター派(赤い薔薇が紋章) 
VS 
ヨーク公リチャードを支持するヨーク派(白い薔薇が紋章)
の血みどろの戦いが始まったのです。

ここで、ブルゴーニュは、なんと次期、王の座に近い、ヨーク派を支持…

これが、ルイ11世は気に入らなかったのです。
またもや、英国と組もうとしているのではないか…
これは、ブルゴーニュも潰しておいた方がいい
こちらは、ランカスター派を支持しておこう…
ふん、ブルゴーニュめ、罠にはまるがいい

ルイ11世のあだ名は、慎重王、又は蜘蛛王…
うーん、何だかどんな人物だか見えてきましたね

「やりやがったな…ルイ11世、あの蜘蛛男め」
ブルゴーニュ公シャルルの気持ちはもちろん、穏やかではありません

ルイ11世とブルゴーニュ公シャルルの戦いは続くのです…
また、仲間割れしちゃって大丈夫?フランス??

by cuicuifrancais | 2011-12-06 07:55 | △フランスの歴史

△フランスの歴史 35 100年戦争終結


いつもお騒がせなフランス王家ですが…
女性のスキャンダルでお家断絶になったカペー朝から
ヴァロア朝に…
フィリップ6世の時に、ついに、イギリスとの100年戦争勃発
息子ジャン2世はイギリスの捕虜に…
そこで、その息子シャルル5世が大活躍でしたね

優秀な人材を見つけ出し、イギリス軍に勝利
枯渇した財政を税金制度を整え、みごと解決!!
さすが、「賢明王」と言われただけありますね

しかし、世継ぎで成人しているのは、2人だけ…
それも、あんまり、できの良くないような…2人
そんな不安の中、「賢明王」はなんと食中毒で死去…
ここまでが前回のお話でした

さあ、賢明王シャルル5世を失ったフランスの次の王は…??
その息子シャルル6世…ついたあだ名が「狂気王」
あーーーこれでは…フランスの先行きが心配ですね
それは、当時も同じ…みんな、フランスの先行きを不安に思っていました

「このままでは、フランスは危ない。我々が王をお守りせねば!」
ブルゴーニュ公で、叔父のフィリップ2世、その息子のジャン1世が
シャルル6世の面倒をみることを名乗りでました

「いやいや、シャルル6世様には、今はオルレアン公として活躍
なさっている弟君ルイ様がいるではないか、王は、オルレアン公ルイ様に
するべきだろ」
そう、簡単にブルゴーニュ派の人間に権力を握らせるものか…と
アルマニャック地方の者たちが、ブルゴーニュ派に反発

ここで、ブルゴーニュ派 VS アルマニャック派
という内部分裂が起生じ始めました…

「おー!!(嬉)フランスはモメているぞーーー。今がチャンス」
と乗り込んできたのは、シャルル6世の姉、カトリーヌを妻としている
イギリスのヘンリー5世
フランスを我がものにするチャンス!!

ヘンリー5世「シャルル6世さま、どうですか?ご気分は?
あまり優れないようですね…もちろん、イギリスは、シャルル6世様の
味方ですよ…どうですか?援助しますので、フランスの土地を分けてくださいよ、
そうそう、それに、お金もね…そりゃ、当たり前でしょ、援助するんですから」

シャルル6世「頭がいたい、タロット占いで決める」
*最古のタロット占いは、シャルル6世が始めたと言われています。
どうしようもなく、運まかせだったんですね…

アルマニャック派「ヘンリー5世、なんという図々しさだ、そんな申し出、お断りだ」

と…断った途端、イギリス軍が一斉にフランス本土へ…
フランスは、大敗します…シャルル6世のは息子を2人も失い、
フランスの将来はもう、真っ暗…

「こんなでは、ダメだ。フランスが1つにならないといけない!対立している場合ではないぞ!」
シャルル6世の3番目の息子、シャルル7世がここで登場します
「ブルゴーニュ派と和解する、共に戦おうと和平を結ぶのだ、会を設けよ」

1419年和解の会議が開催…
アルマニャック派はシャルル7世、ブルゴーニュ派からは、ジャン1世が代表として参加
しかし、ここで、とんでもないことが起こってしまうのです。

シャルル7世の家来が、なんと、ジャン1世を殺害…
「図ったな…シャルル7世、覚えていろよ…」ジャン1世は死去

もちろん、ブルゴーニュ派が黙っているわけがありません
ジャン1世の息子、フィリップ3世は復讐を誓い、すぐに行動にうつします

「ヘンリー5世さま、このたびのフランスの内部分裂は本当におはずかしく…
是非、この国をヘンリー5世さまに治めて頂き、よき国にしてくださればと…」
1420年ヘンリー5世のフランス王位継承を支持し、シャルル7世との全面対決を決めます

しかし、その2年後の1422年にヘンリー5世は急死。シャルル6世も死去。
シャルル7世は、父シャルル6世が死去した後も、ブルゴーニュ派の勢いで、
王位を継ぐことができませんでした

このままでは、ブルゴーニュ派の言う通り、ヘンリー5世の息子、ヘンリー6世が王になってしまう
シャルル7世は焦ります

1428年 パリにほど近い、オルレアンをブルゴーニュ派とイギリスの連合軍が包囲
「オルレアンが落ちたら、軍が南下してパリに入ってくる…ああ、もうだめかもしれない…」
さすがのシャルル7世もこれには落胆…

しかし、ここに現れたのが、救世主ジャンヌ・ダルクなのです!!
「フランスをイギリスに渡してはならない!さあ、みんな、武器を持て!フランスを守るのです!」
女の子がこんな風に戦っているのを見たら、大の大人が戦わないわけにいきませんよね
これで、大人たちは大興奮&大健闘!!オルレアンを連合軍から守りきるのです

翌年1429年 ジャンヌダルクの活躍で、シャルル7世は、王位をランス大聖堂にて、無事継ぎます
しかし、ブルゴーニュ派が納得したわけではありません…
1430年 ブルゴーニュ派のフィリップ3世は、大人を扇動し勝利に導いた
ジャンヌダルクを捕らえ、イギリス軍へ引き渡します。ジャンヌは処刑

1431年 ブルゴーニュ派フィリップ3世はと王家シャルル7世とは休戦
1435年に、和解し、ともにイギリスを戦うことを誓い合い、その後イギリス軍に大勝利
1453年までは、ほとんどの土地を奪回し、100年戦争は、シャルル7世の活躍ということで
ここに終止符を打つのです…

こう見ると、ジャンヌの死は何だったのでしょうね…
翌年すぐに和解するなら、処刑することはなかったのに…と思いませんか?
いかに時代が激動していたのか、いかに政治が、敵味方がグチャグチャだったのかが分かりますね
ジャンヌは、そんな時代の犠牲者の一人ともいえます

シャルル7世はジャンヌを見放した王と言われていますが、それなりに
後から、魔女裁判の結果を誤りとし、ジャンヌの名誉挽回に力を尽くしたと言われています

ここで、長い100年戦争が終わり、フランスの1時代が終わります
次回は、シャルル7世の息子シャルル11世の時代からお話しましょう
お楽しみに★

by cuicuifrancais | 2011-09-14 14:33 | △フランスの歴史

△フランスの歴史第34回  賢明王におまかせ

フランスの歴史34 賢明王におまかせ


さあ、フランスはどうなっていくのでしょうか?
イギリスの脅威に打ち勝てるのか??
フランス王家ヴァロワ朝を見てみましょう

カペー朝からヴァロア朝に政権がうつり…
期待をしたものの…期待はずれな政治がばかり

ヴァロア朝初代王はフィリップ6世
しかし、イギリスには、フランス人の母をもつエドワード3世
がフランス王の継承権を主張…
1度は和解したものの、フィリップ6世がエドワード3世の強敵
スコットランド王をフランスに保護したため、エドワード3世は激怒
ついに100年戦争が勃発してしまうのです…
フランス歴史上最悪な事態となってしまいました…

1346年クレシ―の戦い 勝利はイギリス
大敗北で、フィリップ6世はかなり落胆…
政治も乱れ、国も混乱し、フィリップ6世はそんな中早々病死で死去

1350年混乱の中、息子のジャン2世が王に即位
しかし、1356年ポワティエの戦いでジャン2世は捕虜に…

あっという間にフランスは、王不在となってしまったのです…
「なんということだ…父が捕虜に…」
ここで、王太子であった18歳の若きシャルル5世が王に即位

しかし、この時のフランスは最悪の状態
■重なる戦争で、財政は枯渇
■イギリスには、しつこいエドワード3世
■スぺインには、やはりフランスの王位継承をねらうカルロス2世
■パリには、王政権に反抗する市民指揮者エティエンヌ・マルセル
あちこちに敵がいて、まともに戦っていたら、いくつ体があってももたない…
そんな時にシャルル5世は王になってしまったのです

すぐにシャルル5世を襲ったのは、
貧困で疲弊した農民の大反乱。1358年のジャックリーの乱
主に、フランス北東部で大混乱…
そこに、偉そうに現れたのが、カルロス2世
「オレの土地で何しやがる!!」と主犯者カルルを処刑。
これで反乱は一気に鎮圧
「やっぱり、フランスには俺様がいねーとな!」

そんなカルロス2世に近づく男が…
「カルロスさま、聞いてください。フランスの王シャルル5世は
戦争のための資金として、国民から多くの税を取り立てており、
パリ市民は疲弊しています。どうかカルロス2世さまのお力をお貸しください。
私は、パリで王とは別に、市民から税を集め、市民のためにお金を使おうと
考えております、エティエンヌ・マルセルと申します」
「そうか、俺様を、フランス国民は必要をしているのか」
「そうでございます、是非、パリへお越しください」
しかし、カルロス2世の到着を待たずして、エティエンヌ・マルセルは射殺。
ここでエティエンヌ・マルセルの乱は終了。

カルロス2世の怪しい動きがシャルル5世の頭脳を刺激!!
しかし、このシャルル5世、武芸に関することはすべてダメ…
えー、それじゃあ、カルロス2世に勝てないじゃない…
「敵が疲弊するまで待ちましょう」…えっ…大丈夫なの?

「私は戦いませんからね。でも、強い人を探しましょう。カルロスに勝てる男、知ってますか?」
「黒いブルドッグというあだ名を持つ男がおります」
「おーーー(喜)すぎに来てもらいましょう」
この強い人とは、ブルゴーニュ生まれのベルトラン・デュ・ゲクラン
早速採用。

「まずは、カルロス2世を負かしてくれますか?」
という王の依頼にベルトランは見事にその破壊力を発揮
1364年 ノルマンディーでカルロス2世と戦い、ノルマンディーを制覇
その後は、スペイン軍だけでなく、どんどんイギリス軍をもフランスの地から排除し、
1370年には、王軍事司令官までに出世します
シャルル5世は武芸はダメでも、人を見る目はあったのですね
生涯、べルトランはシャルル5世につかえます

「イギリスの海軍って強いですね…海の男はいないのですか?」
そこで白羽の矢あたったのは、海の知り尽くした男ジャン・ド・ヴィエンヌ
「王様、どう攻撃したらよろしいでしょうか?」
「うーん、派手にやらなくいいですよ、ちょっと嫌がらせしてください」
「嫌がらせですか???」
ジャン・ド・ヴィエンヌはその言葉通りに、イギリス沿岸をまんべんなく
チョコチョコ攻撃。これには、さすがのイギリスも参って、疲弊…
ついに1372年イギリス海軍に勝利
イギリスに占領された土地を取り戻すことに成功するのです
疲労と失意の上、1377年にエドワード3世は死去

これで、
■イギリスには、しつこいエドワード3世 解決済
■スぺインには、やはりフランスの王位継承をねらうスペインのカルロス2世 解決済
■パリには、王政権に反抗する市民指揮者エティエンヌ・マルセル 解決済
■重なる戦争で、財政は枯渇 ←ここが未解決

しかし、大丈夫。なんと言っても、シャルル5世のあだ名は、「賢明王」
とにかく本を読み、知識が豊富。
「武芸は他に人に任せておけばいいのです。私のすることはこれ、です
税制度と貨幣を安定させることなんです」
シャルル5世は税金の父と言われ、財政を確保する税制度を作ります

ただ一つ、解決できない悩みがシャルル5世にはありました
子供のこと。妻との間に9人も子供ができたのですが、成人しているのは2人だけ。
長男のシャルル6世は成人しているものの…ついたあだ名が「狂気王」…
ちょっと、フランス国王として大丈夫なのでしょうか????

そんなさなか、シャルル5世は1380年食中毒で死去
賢明王だったのに、食に対する知識はなかったんですね…残念な結果です…

ついに、シャルル6世(狂気王)の時代がやってきます

狂気と100年戦争…大丈夫なの??フランス…

さあ、次回をお楽しみに★

by cuicuifrancais | 2011-08-19 15:33 | △フランスの歴史

△フランスの歴史 第33回 ブルターニュ継承問題

△フランスの歴史 第33回 ブルターニュ継承問題

前回は、ついにカペー朝の血が途絶え、ヴァロワ家の
王家が始まり…しかし、初っ端からフィリップ6世
イギリスのエドワード3世と激突…
大丈夫なの?フランス・ヴァロワ朝…というところで終了でしたね…

しかし…大丈夫?どころではなかったのです。

1337年エドワード3世はフランスの攻撃を開始
1340年フィリップ6世率いるフランス海軍はスロイスの海戦で大敗北
港を抑えられ、イギリス軍のフランス上陸への道を開いてしまうのです…

しかしイギリスもに痛手が大きかったこともあり、
1341年に停戦協定を結び、しばらく、戦争はお休みとなりました

しかし、水面下で、かなりもめていたのは、ブルターニュの地をめぐる
ブルターニュ継承問題です。これは英仏王位継承をめぐる
百年戦争の中の有名な戦いです


今日はブルターニュ継承問題について、ちょっと話をしましょう

フランスの歴史17 ブルターニュ女魂を復習してください
http://chezcuicui.exblog.jp/13692975/

イギリスに嫁がされたブルターニュ生まれのコンスタンス
リチャード1世、その弟ジョン王を嫌い、フランスを信じ、
息子アルテュール1世をフランス王フィリップ2世に預け
フランスのブルターニュ継承を守った女性です

しかし、その後、
アルテュール1世(ジョン王によって殺害)

息子アルテュール2世=1番目の妻(マリー)の間に、
■ジャン3世→●娘ジャンヌ=(夫)シャルル・ド・ブロワ(フィリップ6世の甥)
■弟ギ―

息子アルテュール2世=2番目の妻(ヨランド・モンフォール)の間に、
■ジャン・ド・モンフォール=(妻)ジャンヌ・ド・モンフォール

●息子ジャン4世

■ジャン3世に男児がいれば問題なかったのですが、
娘のジャンヌしかいなかったため、
同じ母を持つ弟ギ―にブルターニュの地を
継承させようとします。しかし、ギ―は死亡…
ジャン3世は母の違う、スコットランド人の母ヨランドの血を引くジャン・ド・モンフォールがどうも信用できずに、
ブルターニュの地を継承することを最後まで良しとしませんでした。
ジャンヌに地を継承させると決定

もちろん、フランスのフィリップ6世も甥夫婦のブルターニュ継承なら問題なくOK
大いにこの決定を支持します

しかし、ジャン・ド・モンフォールは納得しません。
「いやいや、女性に継承させるには、いかがなものかと思いますよ…
この決定は撤回して頂きたい」

ここで、
フィリップ6世ジャン3世、娘ジャンヌ、その夫シャルル・ド・ブロワ VS ジャン・ド・モンフォールという戦いが始まったのです。もちろん、エドワード3世がのってこないわけがありません。
エドワード3世ジャン・ド・モンフォールを支持

しかし、1341年の時点では、仏英ともに停戦協定を結んでいたため、
エドワード3世は、ジャン・ド・モンフォールを積極的に支援することができず、その間に、ジャン・ド・モンフォールはシャルル・ド・ブロワの手にかかり捕虜となってしまいます

これで一件落着…と思いきや、この時に力を発揮したのが、
ジャンヌ・ド・モンフォール。夫の仇と言わんばかりに、籠城作戦を続け、包囲を突破し
夫のいない城を守り続け、武勇伝を繰り広げていきます。
しかし、その力も1342年8月まで…仏英の停戦協定の期限が切れ、フランス側の攻撃を受けてしまいます…

1342年11月にエドワード3世が助けに来たものの、教皇の仲裁で、再度停戦協定
ここで、多くのモンフォール派の兵士の志気が下がり、隊を去ってしまいます
1344年再度、停戦協定の期間が切れ、シャルル・ド・ブロワはモンフォール派に追い打ちをかけます
この時、戦場となった街カンペールの住民は皆殺し、モンフォールの兵士もパリに連行され、処刑
残酷極まりない追い打ちをかけたのです

この様を見て、ジャン・ド・モンフォールは気落ちし、病死。
今後は、わずか4歳のジャン4世と妻ジャンヌ・ド・モンフォールの戦いとなりました
イギリス軍に頼るしかありません。しかし、ここで、イギリス側が大きく盛り返します。
1346年クレシ―の戦いで、シャルル・ド・ブロワは大敗し捕虜に…

女二人、両方夫を失っても、ここで終わりません。
フランスジャンヌジャンヌ・ド・モンフォール「二人のジャンヌ」の戦いが始まりました。女性は強し!!

この女二人の戦いが、これまた長い…これから20年以上戦い続け、
捕虜から戻ったシャルル・ド・ブロワを迎えて戦った1356年ポワティエの戦い

そして、最後の決戦、1364年オーレの戦い
勝利の女神は、なんとジャンヌ・ド・モンフォールの手に!!
シャルル・ド・ブロワは戦死。ジャンヌも継承権を放棄せざるを得ませんでした

成人したジャンヌ・ド・モンフォール
息子ジャン4世がブルターニュを継承することに。
モンフォール派を支えたのは、もちろんイギリス軍。ブルターニュとイギリスの関係は
このまま継続することになり、フランスにとっては、脅威な地域となったわけです

ブルターニュ継続問題中、フランス王家ヴァロワ朝はどうしていたのでしょうか?

1346年クレシ―の戦いの敗北で、フィリップ6世はかなり落胆…
政治も乱れ、国も混乱し、そんな中早々病死
1350年混乱の中、息子のジャン2世が王に…

しかーし、1356年ポワティエの戦いで捕虜に…

はやくも、ヴァロア朝になってから、
王がいなくなったフランス、これからどうなるの??

by cuicuifrancais | 2011-06-23 13:55 | △フランスの歴史

△フランスの歴史33 ブルターニュ継承問題

前回は、ついにカペー朝の血が途絶え、ヴァロワ家の
王家が始まり…しかし、初っ端からフィリップ6世
イギリスのエドワード3世と激突…
大丈夫なの?フランス・ヴァロワ朝…というところで終了でしたね…

しかし…大丈夫?どころではなかったのです。

1337年エドワード3世はフランスの攻撃を開始
1340年フィリップ6世率いるフランス海軍はスロイスの海戦で大敗北
港を抑えられ、イギリス軍のフランス上陸への道を開いてしまうのです…

しかしイギリスもに痛手が大きかったこともあり、
1341年に停戦協定を結び、しばらく、戦争はお休みとなりました

しかし、水面下で、かなりもめていたのは、ブルターニュの地をめぐる
ブルターニュ継承問題です。これは英仏王位継承をめぐる
百年戦争の中の有名な戦いです

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

今日はブルターニュ継承問題について、ちょっと話をしましょう

フランスの歴史17 ブルターニュ女魂を復習してください
http://chezcuicui.exblog.jp/13692975/

イギリスに嫁がされたブルターニュ生まれのコンスタンスリチャード1世、その弟ジョン王を嫌い、
フランスを信じ、息子アルテュール1世をフランス王フィリップ2世に預け
フランスのブルターニュ継承を守った女性です

しかし、その後、
アルテュール1世ジョン王によって殺害)

息子アルテュール2世=1番目の妻(マリー)の間に、
ジャン3世→●娘ジャンヌ=(夫)シャルル・ド・ブロワ(フィリップ6世の甥)
■弟ギ―

息子アルテュール2世=2番目の妻(ヨランド・モンフォール)の間に、
ジャン・ド・モンフォール=(妻)ジャンヌ・ド・モンフォール
●息子ジャン4世

ジャン3世に男児がいれば問題なかったのですが、
娘のジャンヌしかいなかったため、同じ母を持つ弟ギ―にブルターニュの地を
継承させようとします。しかし、ギ―は死亡…
ジャン3世は母の違う、スコットランド人の母ヨランドの血を引く
ジャン・ド・モンフォールがどうも信用できずに、ブルターニュの地を継承することを
最後まで良しとしませんでした。娘ジャンヌに地を継承させると決定

もちろん、フランスのフィリップ6世も甥夫婦のブルターニュ継承なら問題なくOK
大いにこの決定を支持します

しかし、ジャン・ド・モンフォールは納得しません。
「いやいや、女性に継承させるには、いかがなものかと思いますよ…
この決定は撤回して頂きたい」

ここで、
フィリップ6世ジャン3世、娘ジャンヌ、その夫シャルル・ド・ブロワ VS ジャン・ド・モンフォールという戦いが始まったのです。もちろん、エドワード3世がのってこないわけがありません。
エドワード3世ジャン・ド・モンフォールを支持

しかし、1341年の時点では、仏英ともに停戦協定を結んでいたため、
エドワード3世は、ジャン・ド・モンフォールを積極的に支援することができず、
その間に、ジャン・ド・モンフォールシャルル・ド・ブロワの手にかかり捕虜となってしまいます

これで一件落着…と思いきや、この時に力を発揮したのが、
ジャンヌ・ド・モンフォール。夫の仇と言わんばかりに、籠城作戦を続け、包囲を突破し
夫のいない城を守り続け、武勇伝を繰り広げていきます。
しかし、その力も1342年8月まで…仏英の停戦協定の期限が切れ、フランス側の攻撃を受けてしまいます…

1342年11月にエドワード3世が助けに来たものの、教皇の仲裁で、再度停戦協定
ここで、多くのモンフォール派の兵士の志気が下がり、隊を去ってしまいます
1344年再度、停戦協定の期間が切れ、シャルル・ド・ブロワはモンフォール派に追い打ちをかけます
この時、戦場となった街カンペールの住民は皆殺し、モンフォールの兵士もパリに連行され、処刑
残酷極まりない追い打ちをかけたのです

この様を見て、ジャン・ド・モンフォールは気落ちし、病死。
今後は、わずか4歳のジャン4世と妻ジャンヌ・ド・モンフォールの戦いとなりました
イギリス軍に頼るしかありません。しかし、ここで、イギリス側が大きく盛り返します。
1346年クレシ―の戦いで、シャルル・ド・ブロワは大敗し捕虜に…

女二人、両方夫を失っても、ここで終わりません。
フランスジャンヌジャンヌ・ド・モンフォール「二人のジャンヌ」の戦いが始まりました。女性は強し!!

この女二人の戦いが、これまた長い…これから20年以上戦い続け、
捕虜から戻ったシャルル・ド・ブロワを迎えて戦った1356年ポワティエの戦い

そして、最後の決戦、1364年オーレの戦い
勝利の女神は、なんとジャンヌ・ド・モンフォールの手に!!
シャルル・ド・ブロワは戦死。ジャンヌも継承権を放棄せざるを得ませんでした

成人したジャンヌ・ド・モンフォールの息子ジャン4世がブルターニュを継承することに。
モンフォール派を支えたのは、もちろんイギリス軍。ブルターニュとイギリスの関係は
このまま継続することになり、フランスにとっては、脅威な地域となったわけです

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ブルターニュ継続問題中、フランス王家ヴァロワ朝はどうしていたのでしょうか?

1346年クレシ―の戦いの敗北で、フィリップ6世はかなり落胆…
政治も乱れ、国も混乱し、そんな中早々病死
1350年混乱の中、息子のジャン2世が王に…

しかーし、1356年ポワティエの戦いで捕虜に…

はやくも、ヴァロア朝になってから、
王がいなくなったフランス、これからどうなるの??

次回、フランスの運命は?お楽しみに

by cuicuifrancais | 2011-04-19 08:54 | △フランスの歴史

△フランスの歴史32 大丈夫?ヴァロワ朝

前回は、ついにカペー朝の血が途絶え、ヴァロワ家の
王家が始まりました

ヴァロワ朝初代王はカペー家
最後の王シャルル4世の従兄弟フィリップ6世

いろいろカペー朝の問題がありましたが
1328年やっと、王として即位。やれやれ…というところでしたが…

その1年前、とんでもないことがイギリスで起こっていたのです

イギリスのことを思い出してみましょう
シャルル4世の妹イザベルがイギリスのエドワード2世と結婚して
イギリスに嫁いでいますね

エドワード2世のこと、覚えていますか?
同性愛者で、暴力、暴言は当たり前。夫としては最悪でした
もちろん、イザベルも夫エドワード2世のことなんか愛してはいませんでした
挙句の果てに、エドワード2世はフランスの王位継承権を持ちだし、
シャルル4世の怒りをかうハメに…エドワード2世シャルル4世に敗北

しかし、シャルル4世イザベルのことを思い、二人の間の子
エドワード3世と和睦し、フランスとイギリスの仲は保たれていたのです

カペー朝がうまくやってくれていたので、まあ、イギリスとの仲でもめる
ことはないだろう…そうたかをくくっていたフィリップ6世にとんでもない
知らせが!!

なんと、イザベルには愛人がいて、その愛人とともに、夫エドワード2世を廃位
二人で、権力を握り、エドワード2世の兄弟を処刑…
息子エドワード3世はこれに激怒。母イザベルを終身幽閉、愛人を死刑にします
義理姉たちの不貞を父フィリップ4世に知らせたイザベルが、こんな時に不貞とは…

母も愛人も廃したエドワード3世はフランスにも大きく出てきます。
王位継承権を主張し始めたのです。
イギリスとは問題がないと思っていたのに!!
早速、初代王フィリップ6世は大きな壁にぶちあたります

どうしたものか…?フィリップ6世は悩みます
そんな時、エドワード3世はスコットランドと戦争中
少し、考える時間ができ、ちょっと一息。
そんな矢先、そのエドワード3世がスコットランドに敗北し、
なんと助けを求めてきたのです

「助けてください…」
「なーんだか、むしのいい奴だな…気に食わないが、まあ
ここで恩を売っておこう」とフィリップ6世は、一度、
エドワード3世を助けます
調子のいいエドワード3世
「王は、なんといってもフィリップ6世さんだけですよ♪」
あっさりと王位継承権は放棄して、フィリップ6世に従うと言うのです

「またまた、単純な奴だな…まあ、従うって言っているし、
いいだろう、一件落着だ。しかし、信じていいものか」と…
まあ、悩みは残ったものの、ことは終わったように見えたのです…

しかし、次は、スコットランドの王デヴィット2世がフランスに亡命を願い出てきたのです
フィリップ6世は、デヴィット2世を大歓迎
「あの、うさんくいさいエドワード3世が攻めてきた際には、
是非、一緒に組みましょう。デヴィット2世さん
あなたと組めば勝てます。運が向いてきたぞーー!!」

これを見たエドワード3世は激怒!!
「おい、フィリップ6世、俺を裏切ったな。俺は、お前に従うと
言ったはずだ。おまえみたいに、信頼のおけない奴は王の資格がない。
やはり、フランスの王の座は俺によこせ!」

1337年エドワード3世はフランスへの攻撃を始めたのです。
これが、かの有名は100年戦争の始まりです…ヴァロア朝初代王
が自ら、100年戦争の引き金を引いてしまったのです

ついに、仏・英はただならない関係に…
大丈夫?フランス・ヴァロワ朝??

by cuicuifrancais | 2011-03-30 19:28 | △フランスの歴史

△フランスの歴史31 ヴァロワ家の誕生

前回は、妻たちの不倫騒動で大変な王家の話をしました。

妻が不貞を働いた場合、どうなるのでしょうか?
もちろん、そのまま王妃の地位にとどまることはできません

主犯だった、ルイ10世の妻マルグリット・ド・ブルゴーニュ
弟シャルル4世
の妻ブランシュは即、ガイヤ-ル城に幽閉。
一生出してもらえませんでした。
可愛そうですが、当然といえば、当然。

しかし、フィリップ5世の妻、ジャンヌ2世だけは
夫に潔白を訴え、無罪が確定。
この夫婦は3組み夫婦の中で、比較的、信頼関係が
あったのかもしれませんね…
夫婦間の信頼関係って、昔も今も変わらないんですね…

さて、ルイ10世は男児に結局恵まれず、死去
次男のフィリップ5世が王に即位
しかし、せっかく仲直りししたジャンヌ2世との間にできた
男児はみんな夭折。結局、男児のないまま死去

三男もシャルル4世が王に即位
1人目の妻ブランシュとの間には、1男1女。しかし、2人とも夭折
2人目の妻との間にも1男。しかし、出産後母子ともに死亡
3人目の妻には、女3人…
男児には結局恵まれず…これでは、王家が滅亡してしまう…

ここにつけこんできたのが…あの同性愛のダメ義理弟
イギリスに嫁いだイザベルの夫エドワード2世です

「イザベルから聞いたぞ…フランス王家はもうダメだな。
俺の妻はおまえの妹だぞ。この俺にも、フランス地を継承する
権利があるはずだ。なんといっても、義理の弟なんだからな」

と急に、アキテーヌの土地(今のボルドーあたり)の継承権を
主張してきたのです!!

「なんと、こざかしい!!」さずがのシャルル4世もだまっていません
叔父のヴァロワ伯シャルルを頼り、エドワード2世を攻撃。
エドワード2世の主張を退けます

やっとうるさいエドワード2世を退治したものの。
そんなエドワード2世も妹イザベルの夫
夫に苦しめられてきたイザベルを思うと心が痛みます

最後にシャルル4世は、イザベルエドワード2世の間の息子
エドワード3世と和睦。母イザベルの地位と名誉を守り
死んでいったのです。

しかし、長年987年ユーグ・カペーがカロリング家に勝利し、
今まで築き上げたカペー家(朝)は、ここで、血筋が途絶え、
お家断絶…こういうこともあるのですね…

次は、誰が王になるのか?
この時、王家の中では、
シャルル4世も最後に頼ったヴォロワ家
エドワード2世攻撃の際に活躍したヴォロワ家が
目立った存在となっていました

次の王は、ヴァロワ伯シャルルの息子
(シャルル4世の従兄)のシャルル6世に決定
ここから、ヴァロワ朝が始まるのです。

ヴァロワ家はどんな家柄なのでしょうか?
ヴァロワ家は、カペー家の分家
十字軍に何度も遠征し、聖人と呼ばれたルイ9世
息子フィリップ3世(冴えない息子でしたね、覚えていますか?)
の4男シャルルの子孫にあたります

今後、ヴァロワ朝に何が待ち受けているのでしょうか?
次回をお楽しみに!!

by cuicuifrancais | 2011-02-25 14:16 | △フランスの歴史

△フランスの歴史29 フィリップ4世の天罰

前回までは、敵の多いフィリップ4世の話でした

そんなフィリップ4世も1314年、46才でこの世を去ります
毒殺したと言われている妻ジャンヌの間には
子供が6人。男3人、女3人と上手く生んだのですが…

しかし、行いの良くなかったフィリップ4世
生前の頃から、王家に災いが起こり始めます
1300年、長女マルグリットが死去
1314年、フィリップ4世の死後、25歳の長男ルイ10世が即位
しかし、なんと、2年後の1316年6月に死去。27歳の若さでした…

王家は途方にくれます
ルイ10世には、1番目の妻との間に、娘(ジャンヌ)しかいませんでした…
王となる男の子がいなかったのです。

しかし、ルイ10世死後、2番目の妻のお腹には、子供が…!!
男子であって欲しい!!王家は皆、心から祈りました
1316年11月…出産の時が…

なんと、男児!!これで、この子が生まれながらにして王となったのです。
赤ん坊ですが、王は王。王ジャン1世の誕生です。
これで、王家の血筋は確保できた。皆、ホッとしました…

ところが、そんな幸せは束の間…ジャン1世は生後5日後にして死去

もう、これは、フィリップ4世を恨んで死んだ人々の怨念に違いありません
王家の直系男児はここについに断絶したのです…

そこで、では、ルイ10世の一人娘ジャンヌを王にしたら、どうだろう?
という話が持ち上がります。女性は王にはなれない…そのような決まりはありますが
なんとしても、王の直系の血筋を守りたい、女性の王でもいいのではないか?
そのような意見が持ち上がります

しかし、ここに大きな問題が!!

ジャンヌは、ルイ10世とルイ10世の1番目の妻(マルグリット・ド・ブルゴーニュ
との間の子。一体何が問題だったのか…

1305年、ルイ10世マルグリットは結婚
1314年、ルイ10世(25歳)は即位。同時にマルグリット(24歳)も王妃となりました

しかし、即位の2年前1312年頃から、マルグリットは、夫の不在時に
学生や騎士をセーヌ河沿いにある塔の中に誘いこみ、一夜のアヴァンチュールを
楽しむようになっていたのです。
それも、一人で楽しめばいいものを、
ルイ10世(長男)の弟(次男)フィリップ5世の妻、ジャンヌ2世弟(三男)シャルル4世の妻、ブランシュも誘って、やりたい放題

しかし、3人の夫たちは長くこれに気付いていなかったのです…

そこに、彼らの妹(イザベル)が嫁ぎ先のイギリスからやってきました
イザベルは、イギリスのエドワード2世に嫁いでいたのですが、
このエドワード2世は同性愛者という噂もあり、夫婦仲がうまくいっていませんでした。
そこで、実家の父(フィリップ4世)や兄たちに、何とかして欲しいと訴えに来たのです

しかし、兄たちに話をしようとも、兄たちは忙しく、相手にしてもらえません…
では、義理姉たちに話を聞いてもらおうとすると…

「お姉さまたちは、どこに行くのかしら?…こんな時間に?」
後をつけて行って、イザベルはびっくり!!!

「お父様、お父様!!大変です。お姉さまたちが、セーヌ河沿いで…」
フィリップ4世は、イザベルからことの次第を聞き、あまりのショックに
病の床に…長女は早死し、3人の息子は、妻にコケにされ、
末娘の夫は同性愛者…

フィリップ4世は、子ども達の、あまりにも
悲劇的な結末に、ショックを受け、ショック死した
とも言われています。

よって、ルイ10世の娘ジャンヌは、本当にルイ10世の子か
分からない…ということで、王にすることはできなかったのです。

ここに直系男児は本当に断絶。
そこで、ルイ10世の弟(次男)フィリップ5世が即位
しかし、妻ジャンヌ2世との間には、女の子のみ…

ジャンヌ2世は不貞を働いていたにも関わらず、女の子ばかりだったんですね…
女腹(おんなっぱら)というものですね。ここで、不貞でも男児が生まれていれば、
もしかしたら、不貞に目をつぶって、王家の血を存続させたかもしれません

フィリップ5世亡きあとは、結局、その弟(三男)シャルル4世が即位します

フィリップ4世の老後からの王家は、とんでもないことばかり…
やはり、フィリップ4世には、天罰が下ったとしか
言いようがありませんね

次回も王家の結末を一緒に見ていきましょう★

by cuicuifrancais | 2011-02-16 08:21 | △フランスの歴史