いつもお騒がせなフランス王家ですが…
女性のスキャンダルでお家断絶になったカペー朝から
ヴァロア朝に…
フィリップ6世の時に、ついに、イギリスとの100年戦争勃発
息子ジャン2世はイギリスの捕虜に…
そこで、その息子シャルル5世が大活躍でしたね
優秀な人材を見つけ出し、イギリス軍に勝利
枯渇した財政を税金制度を整え、みごと解決!!
さすが、「賢明王」と言われただけありますね
しかし、世継ぎで成人しているのは、2人だけ…
それも、あんまり、できの良くないような…2人
そんな不安の中、「賢明王」はなんと食中毒で死去…
ここまでが前回のお話でした
さあ、賢明王シャルル5世を失ったフランスの次の王は…??
その息子シャルル6世…ついたあだ名が「狂気王」
あーーーこれでは…フランスの先行きが心配ですね
それは、当時も同じ…みんな、フランスの先行きを不安に思っていました
「このままでは、フランスは危ない。我々が王をお守りせねば!」
ブルゴーニュ公で、叔父のフィリップ2世、その息子のジャン1世が
シャルル6世の面倒をみることを名乗りでました
「いやいや、シャルル6世様には、今はオルレアン公として活躍
なさっている弟君ルイ様がいるではないか、王は、オルレアン公ルイ様に
するべきだろ」
そう、簡単にブルゴーニュ派の人間に権力を握らせるものか…と
アルマニャック地方の者たちが、ブルゴーニュ派に反発
ここで、ブルゴーニュ派 VS アルマニャック派
という内部分裂が起生じ始めました…
「おー!!(嬉)フランスはモメているぞーーー。今がチャンス」
と乗り込んできたのは、シャルル6世の姉、カトリーヌを妻としている
イギリスのヘンリー5世
フランスを我がものにするチャンス!!
ヘンリー5世「シャルル6世さま、どうですか?ご気分は?
あまり優れないようですね…もちろん、イギリスは、シャルル6世様の
味方ですよ…どうですか?援助しますので、フランスの土地を分けてくださいよ、
そうそう、それに、お金もね…そりゃ、当たり前でしょ、援助するんですから」
シャルル6世「頭がいたい、タロット占いで決める」
*最古のタロット占いは、シャルル6世が始めたと言われています。
どうしようもなく、運まかせだったんですね…
アルマニャック派「ヘンリー5世、なんという図々しさだ、そんな申し出、お断りだ」
と…断った途端、イギリス軍が一斉にフランス本土へ…
フランスは、大敗します…シャルル6世のは息子を2人も失い、
フランスの将来はもう、真っ暗…
「こんなでは、ダメだ。フランスが1つにならないといけない!対立している場合ではないぞ!」
シャルル6世の3番目の息子、シャルル7世がここで登場します
「ブルゴーニュ派と和解する、共に戦おうと和平を結ぶのだ、会を設けよ」
1419年和解の会議が開催…
アルマニャック派はシャルル7世、ブルゴーニュ派からは、ジャン1世が代表として参加
しかし、ここで、とんでもないことが起こってしまうのです。
シャルル7世の家来が、なんと、ジャン1世を殺害…
「図ったな…シャルル7世、覚えていろよ…」ジャン1世は死去
もちろん、ブルゴーニュ派が黙っているわけがありません
ジャン1世の息子、フィリップ3世は復讐を誓い、すぐに行動にうつします
「ヘンリー5世さま、このたびのフランスの内部分裂は本当におはずかしく…
是非、この国をヘンリー5世さまに治めて頂き、よき国にしてくださればと…」
1420年ヘンリー5世のフランス王位継承を支持し、シャルル7世との全面対決を決めます
しかし、その2年後の1422年にヘンリー5世は急死。シャルル6世も死去。
シャルル7世は、父シャルル6世が死去した後も、ブルゴーニュ派の勢いで、
王位を継ぐことができませんでした
このままでは、ブルゴーニュ派の言う通り、ヘンリー5世の息子、ヘンリー6世が王になってしまう
シャルル7世は焦ります
1428年 パリにほど近い、オルレアンをブルゴーニュ派とイギリスの連合軍が包囲
「オルレアンが落ちたら、軍が南下してパリに入ってくる…ああ、もうだめかもしれない…」
さすがのシャルル7世もこれには落胆…
しかし、ここに現れたのが、救世主ジャンヌ・ダルクなのです!!
「フランスをイギリスに渡してはならない!さあ、みんな、武器を持て!フランスを守るのです!」
女の子がこんな風に戦っているのを見たら、大の大人が戦わないわけにいきませんよね
これで、大人たちは大興奮&大健闘!!オルレアンを連合軍から守りきるのです
翌年1429年 ジャンヌダルクの活躍で、シャルル7世は、王位をランス大聖堂にて、無事継ぎます
しかし、ブルゴーニュ派が納得したわけではありません…
1430年 ブルゴーニュ派のフィリップ3世は、大人を扇動し勝利に導いた
ジャンヌダルクを捕らえ、イギリス軍へ引き渡します。ジャンヌは処刑
1431年 ブルゴーニュ派フィリップ3世はと王家シャルル7世とは休戦
1435年に、和解し、ともにイギリスを戦うことを誓い合い、その後イギリス軍に大勝利
1453年までは、ほとんどの土地を奪回し、100年戦争は、シャルル7世の活躍ということで
ここに終止符を打つのです…
こう見ると、ジャンヌの死は何だったのでしょうね…
翌年すぐに和解するなら、処刑することはなかったのに…と思いませんか?
いかに時代が激動していたのか、いかに政治が、敵味方がグチャグチャだったのかが分かりますね
ジャンヌは、そんな時代の犠牲者の一人ともいえます
シャルル7世はジャンヌを見放した王と言われていますが、それなりに
後から、魔女裁判の結果を誤りとし、ジャンヌの名誉挽回に力を尽くしたと言われています
ここで、長い100年戦争が終わり、フランスの1時代が終わります
次回は、シャルル7世の息子シャルル11世の時代からお話しましょう
お楽しみに★